その雪と血を / ジョー・ネスボ (著), 鈴木 恵 (翻訳)
オーラヴ・ヨハンセンは殺し屋だ。この数年間、麻薬業者のボスに命じられて殺人を引き受けてきた。今回の仕事は、不貞を働いているらしいボスの妻を始末すること。いつものように引き金をひくつもりだ。だが彼女の姿を見た瞬間、信じられないことが起こる。オーラヴは恋に落ちてしまったのだ――。葛藤する彼の銃口は誰に向かうのか。放たれた弾丸が首都の犯罪組織を大きく揺るがす……。雪降りしきる70年代のノルウェーを舞台に、世界で著作累計2800万部を突破した北欧ミステリの重鎮が描く血と愛の物語。
ノルウェーのミステリ作家、ジョー・ネスボの『その雪と血を』はオーラヴという名の一人の殺し屋の物語である。オーラヴはボスの妻を殺すよう命じられるが、あろうことか彼女に一目惚れしてしまい、そこから全てが狂ってゆくのだ。
この作品の読み所の一つはまず、ジョー・ネスボのハードボイルド小説を思わせる華麗な文体にあるだろう。物語自体は強い情感に満ちており、所謂ハードボイルド小説とは言い難いのだが、詩的で的確な比喩がそこここに散りばめられた文体がロス・マクドナルドなどのハードボイルド作品を思わせるのだ。これまで読んだ北欧ミステリの中でも特に抜きんでた文章だと感じた。
もう一つは、主人公オーラヴの奇妙な性格設定だ。殺し屋であるはずのオーラヴだが、どうにも殺し屋らしくない不器用で朴訥、読書を愛する内省的な性格をしているのだ。殺した相手の家族が不憫だからという理由でこっそりサポートするという行動もなんだか変わっている。また、オーラヴはあまりに不器用なばかりに殺し屋以外にできる仕事がないとうそぶくが、それ逆じゃないか?と思ってしまう。読字障害を患っていると告白しているにも関わらず読書家であるという部分も矛盾している。このちぐはぐさは意図的なものなのだろうが、その意図とはなんなのだろうか。
そしてこれが非常にロマンチックで、同時に残酷なラブストーリーである点だろう。ボスの妻に横恋慕し、殺しの依頼を反故にするなんてベタベタにロマンチックじゃないか。おまけにオーラヴはその女性に尽くしまくるのである。随分と甘々じゃないかなあ、と思わせるが物語はそれで済む筈がない。同時にオーラヴはスーパー店員の聾唖の女性にも恋をしている。随分気があるなあ、と思わせるがこれも後に物語に大きく関わってくる。
奇妙にちぐはぐな主人公の性格、一途過ぎて臭みさえ感じるロマンチック展開と、にもかかわらずなぜかもう一人気になる女性がいるという謎構成、表層的に読むなら楽しめるけどちょっと変わったお話だね、で済んでしまうのだが、この作為的な構成の背後には別の意図を感じさせる。それはこの物語が最初からパルプフィクション的なノワールを意図した作品であるということだ。殺し屋でもなんでもない一読者の妄想と願望充足をあえて押し出したような物語なのだ。だからこそ描かれる時代がノスタルジックな70年代なのだろう。同時にこれは、ハードボイルド小説のパロディでもある。そういった部分で、ストレートな物語のように見えながら実はちょっとしたひねりのある作品なのだ。