■Netfrixのカルト・ドラマ『The OA』
Netfrixオリジナル・ドラマ『The OA』はある女性が飛び降り自殺から救出されるところから始まる。彼女の名はプレイリー・ジョンソン、病院で意識を取り戻した彼女は驚くべき事実を語り出した。彼女が7年前に養父母の元から失踪していたこと、彼女がかつて臨死体験者であったこと、それまで失明していた彼女の目が見えるようになっていること、そして失踪の7年間、彼女が臨死体験者ばかり拉致監禁された秘密施設で実験体となっていたこと、さらに、実験を通して、不可思議な異次元世界を垣間見てしまったこと。こうして謎に満ちた物語が始まる。
臨死体験、異次元世界、蘇生に関わる奇妙な能力。こうしたミステリアスでSF的な題材の中に、拉致監禁、異様な実験を繰り返すサイコパス科学者が登場し、サスペンスの風味も加味される。しかしそれだけならこの『The OA』は数多あるTVドラマとたいした違いはない。だが、このドラマは奇妙で異様な側面を持っている。それは異世界に人を救済に導く高次な存在がいること、その存在のお告げにより主人公はなにがしかのパワーを獲得するようになることである。どことなく宗教めいている。非常にカルト的なのだ。
主人公プレイリーは「過去」に異様な体験をしたが、「現在」において、まだ施設に閉じ込められているであろう人々を助けるために仲間を募る。それは世間から若干浮いた存在の学生とその教師。集められた「仲間」は、プレイリーの恐ろしい過去の体験を聞きながら、監禁された人々の救出法を学ぶ。物語はこの「現在」と主人公が語る「過去」を交互に描くことで進行してゆくが、驚かされるのは、この構成がほぼ最終話まで続くという事だ。昨今の洗練されたシナリオ術の中にあってこの愚直とも言える構成があまりに奇妙なのだ。
そしてこの「現在」ですらまたもやカルト的である。集められた少数の仲間。その仲間たちは誰もが現実に馴染めない。そんな彼らだけに伝えられる「隠された真実」。その異様な「真実」を「信じる」ことで結束してゆく仲間たち。そして彼らに与えられる「救出のための秘儀」。この「秘儀」は"動作"と呼ばれるものだ。主人公が教える"動作"を懸命に学ぶ彼らの姿は滑稽に見えなくもないが彼らは真剣そのものだ。そしてこれら全ての要素があたかもカルト教団に取り込まれた信者のようにすら見えるのだ。
この物語はいったい何なのだろう?カルトの発生とその結束を描いたかのように見えるこの物語は最後にどこに行き付きたいのだろう?臨死体験者ばかりを監禁し実験する科学者は何をやりたかったのだろう?主人公が異世界で見たものは「何」で、主人公に「何」をやらせたいのだろう?主人公は拉致から解放された後自分をプレイリーではなく「OA」と呼べ、と周囲に言う。このドラマのタイトルとなった言葉だが、この「OA」とは、いったいなんのことなのだろう?そして最大の疑問は、プレイリー/OAの語った過去は本当に、「真実」だったのか?
こうして、ドラマ『The OA』は様々な謎と疑問を巻き散らかしながら全8話を疾走してゆくことになる。そしてその最終話、全てが明らかになると同時に、あまりに唐突で衝撃的なエンディングを迎えるのだ。すべての謎と疑問は、このエンディングへと辿り着くために用意された大いなる助走だったのだ。それでも、と思う。このエンディングを迎えてすら、「でも、なぜ?なぜこんなことに?」と新たな疑問が湧き上がって仕方ないのだ。全ては説明されない。いや、説明できないのだ。説明できないけれども、「それは、確かに、あった」。その理解の範疇を超えた「事実」が、このドラマをさらにミステリアスなものとしているのだ。
こうして一種のカルトを扱ったドラマ『The OA』は、それ自体がカルト的なドラマとして幕を引く。シーズン2の製作がアナウンスされたようだが、このシーズン1最終話で物語が終わったとしても十分すぎるほどの魅力を秘めた力作だと思う。昨今のドラマ流行りの中で、ここまでドラマの定説を無視し独自のものを作り上げた頑固さとその手腕は製作者自身の作品に対する徹底的な拘りがあればこそなのだろう。一歩間違えば単なる珍作だしこの作品すらある種人を選ぶと思うからだ(途中で「はぁ?」とか言いながら笑っちゃう人もいるだろうとは思う)。
そして、こんな野心的な作品に主演し、さらに製作と原作を兼ねた女性が、誰あろう、ブリット・マーリングなのである。
■ブリット・マーリングという風変わりな才女
ブリット・マーリング、儚げな美貌を湛えたアメリカ女優だが、彼女は単なる「綺麗な女優」ではない。俳優であるほかに自ら出演する作品の製作と脚本まで担当する才女だ。日本で劇場公開された作品はエレン・ペイジと共演した2013年の作品『ザ・イースト』だけだが、ビデオスルー作品として『アナザープラネット』(2011)、さらに日本未公開作『Sound of My Voice』(2011)があり、これら全てにおいて主演・製作・脚本に携わっているのだ(もちろん製作に関わっていない主演作も幾つかある)。そしてこれら3作は、どれも非常に心に焼き付く「カルト的作品」なのである。
オレにとってブリット・マーリングとの出会いは『アナザープラネット』だった。この物語は、「もうひとつの地球」というSF的な設定にありながら、贖罪と救済をテーマにしつつ、脆く傷つきやすい個人の内省へとどこまでも肉薄してゆく、非常にナイーブな文学的作品として完成していた。個人的にはオレのオールタイムベストに挙げても構わないと思わせる傑作であった。
続く『ザ・イースト』は「カルト教団への潜入」を描いた作品だ。ブリット・マーリングは民間潜入捜査員として登場する。彼女が潜入したその教団は、環境保護の為にテロ行為も辞さないカルトとして最初描かれるが、捜査を通じ主人公の眼に映ったのは、社会に圧殺された悲しみと混乱の中にある信者の姿だったのだ。
そして『Sound of My Voice』はまたしてもカルト教団の物語である。しかし今作におけるブリット・マーリングの役どころは謎めいた教祖であり、物語は『ザ・イースト』とは逆に「潜入される側のカルト教団」を描くことになるのだ。捜査員は最初教団を胡散臭いものとしか思っていない。しかし関わるうちに次第に教団に取り込まれてゆくことになるのだ。
ブリット・マーリングは『ザ・イースト』『Sound of My Voice』とカルト教団をテーマに映画を製作し、さらにドラマ『The OA』においてもカルト的としか思えない集団を中心に据えて物語を形造ってゆく。ブリット・マーリングがなぜこうまでしてカルトとカルト教団といったテーマに惹かれるのか。それはカルトとは一見関係の無い映画『アナザープラネット』に秘密が隠されているのではないか。
『アナザープラネット』における救済と贖罪というテーマには否応なく宗教性を感じるが、しかしキリスト教など従来的な宗教を一切登場させていない。これはキリスト教圏にあるアメリカで製作されながら不思議なことである。これは救済と贖罪を、従来的な宗教性に頼りたくない、ということなのではないか。そこで立ち現れるのがカルトということになるが、そもそもブリット・マーリング自身は、カルトそのものを信じているようにすら見えない。
そう、一見カルトでありニューエイジ的であり、スピリチュアルなものを描いているブリット・マーリングではあるが、実はそれら全てを信用していないか、または過渡的なものとして観察しているだけのように思う。彼女は型にはまったスピリチュアルを求めているのではなく、自身の中に「救済と贖罪」という根幹的なテーマを持ち、それがどういった形で成されるのかを探求している過程なのではないか。カルトはその通過点ではあっても、目的ではないのだ。そしてそれを、教義ではなく、映画という【物語】の中で実践しようとしているのだ。そう考えると、この女優が、いかに特異であり、そして異能であるのかが伺えはしないか。つくづく興味の尽きない、そして目の離せない女優である。
◎参考記事
この記事の中で「どうしてブリット・マーリングが不思議な作品ばかり製作しているのか」という問いに対する「彼女がワシントンDCの名門校ジョージタウン大学で経済学の学士を取得した後、リーマンショック直前の時期に世界有数の投資銀行ゴールドマン・サックスで投資アナリストのインターンとして働いていた経験だという。金融の最前線で働くことで、マーリングは「人生の無意味さを知った」とインタビューで率直に語っている」という記述はブリット・マーリング理解のひとつの助けになると思う。
The OA | Official Trailer [HD] | Netflix