■ブリグズビー・ベア (監督:デイブ・マッカリー 2017年アメリカ映画)
誘拐監禁されクマビデオばかり見せ続けられた少年の行くすえ!?
映画『ブリグズビー・ベア』、タイトルや熊のぬいぐるみが登場するビジュアルから『パディントン』みたいなファミリー・ファンタジーっすかあ?と思ったらさにあらず、なんと赤ん坊の頃に誘拐監禁された青年が数十年間誘拐犯の作ったニセTVドラマを見せられていた、というお話なんですね。そしてそのニセTVドラマのタイトルというのが「ブリグズビー・ベア」ということなんです。
主人公の名はジェームス(カイル・ムーニー)、彼は地下シェルターで両親と暮らしています。なんでも外界は毒ガス塗れの危険な世界なのらしい。25歳になるジェームスのただ一つのお楽しみは毎週届く教育ビデオ「ブリグズビー・ベア」。それは正義の味方ブリグズビー・ベアが宇宙を混沌に陥れる究極の悪と日夜戦い続けるというもの。そんなある日シェルターに警官隊が突入、両親を逮捕してしまう。実は両親と思っていた二人はジェームスを赤ん坊の頃誘拐した犯罪者で、ジェームスをずっと騙してシェルターに幽閉していた。やっと本当の親に対面するジェームスだが、世間の事を一切知らない彼の関心は、ブリグズビー・ベアだけだった。そこで彼は自分でブリグズビーの映画を撮ろう!と思いつくのだが……という物語。
誘拐監禁が端緒になっているこの物語、『ルーム ROOM』や『10 クローバーフィールド・レーン』が引き合いに出されていたけどオレが思い出したのは『籠の中の乙女』だったな。この映画では家に完全な幽閉状態で外の世界を全く知らず育てられた子供たちが両親から常識とは違う狂った教育を受けながら成長してしまう、という猟奇な物語が描かれるんですな。
誘拐犯は何故クマビデオを作った?
映画『ブリグズビー・ベア』でも主人公は外界から遮断されたまま、ブリグズビーの物語だけを見せられ、それだけが世界の真実だと思いこまされて成長してゆきます。ただ『籠の中の乙女』と違うのは、そのビデオが一応は子供向けぬいぐるみドラマの体裁を取った割ときちんとした教育ビデオだってことなんですな。しかもこれ、誘拐犯の親父のお手製なんですよ。ここで分かんないのは、この誘拐犯の親父がなんで手間暇かけてこんなビデオ作ってたのかってことなんですがね。
例えば内容が狂ったカルトを叩き込む洗脳ビデオだっていうなら分かるんですよ。狂った動機がそこにあるのならそのビデオは親父の狂った脳髄をトレースするために一から製作しなけりゃなりませんから。しかしジェームスの見せられていたのは世間一般によくある子供向けぬいぐるみドラマとなんら変わらないんですよ。誘拐犯の親父はただきちんと教育したかっただけみたいなんですね。じゃあ既製品見せりゃあいいわけでわざわざ作る必要ないじゃないですか。
真実の世界なんてどうでもいい!
主人公ジェームスが本当の家族のもとに還りやっと普通の生活を取り戻してからも妙な展開が続きます。ジェームスは真実の世界に戻ったにも関わらず、監禁生活の中で心の底から愛しきっていた「ブリグズビー・ベア」が忘れられず、遂には自分自身で「ブリグズビー・ベア」のビデオを作り始めちゃうんです。
これ、考えようによっちゃあ相当倒錯した行為です。何故なら自分を誘拐監禁した犯罪者の作った世界にもう一度戻りたい、真実の世界なんてどうでもいいから自分が監禁されていた頃の夢の世界に浸っていたい、という欲求以外何者でもないからなんですね。しかしそんな倒錯した展開を映画は何一つ衒いなく描き、あまつさえ「それこそが自分らしくあること」のように感動的に盛り上げちゃってるんですよ。
この辺で気付いちゃうのは、この物語において冒頭の「誘拐犯による監禁生活」というのは単なる"方便"でしかないという事なんですね。まず誘拐犯が特に狂人にも極悪人にも描かれない事、誘拐犯の製作したビデオ「ブリグズビー・ベア」が狂ったカルトの洗脳ビデオでもなんでもなく他愛のないオコチャマ向けSFぬいぐるみドラマでしかない事、つまり”犯罪行為”や”犯罪を起こす人間心理”にこの物語が全く興味を持っていない、という事、がその”方便”の理由です。
引きこもりオタク青年の自己正当化
そしてそれは何のための”方便”かというと、「子供の頃たった一つの娯楽だけを愛し続け、世間にも現実にも全く疎いまま育ったが、大人になっても現実も世間も知りたくないし、これからもその娯楽を愛し続けたいので、そんな自分を正当化する理由が欲しい」ということなんですよ。なんのことはない、引きこもりオタク青年の自己正当化を描いたのがこの物語という訳なんですよ。
けれども、だからこの物語は下らない、底が浅い、というつもりはないんですよ。むしろ、ええやんか、どんどんやりゃええ、と思いましたね。というか、ジェームス君は「ブリグズビー・ベア」の新作を製作することで逆に現実世界に受け入れられ、そして自分自身の居場所も築けちゃってるじゃないですか。これぞまさに「好きこそものの上手なれ」だし「三つ子の魂百まで」だし「雀百まで踊り忘れず」ってことですよね。そしてまた、ジェームス君は「ブリグズビー・ベア」のビデオを自らの手で製作することによりやっと自らの過去を昇華することができたとも言えますよね。
とはいえ惜しむらくは「犯罪被害者」という避けようのなかった事件を理由にして「自己正当化」を目論もうとするシナリオはちょっとずるいんじゃない?ってことで、わざわざ誘拐監禁なんて”理由”なんかでっちあげず最初から正々堂々「オレはクマビデオが好きだあああああ好きなんだああああああだから文句あっか?」とやるべきだったんじゃないかと。その辺、「犯罪」という”捻じれ”が”捻じれ”のまま放っておかれている部分にツメの甘さを感じたんですけどね。そんなことより、誘拐犯役の親父、なんか見たことあるなあ、と思ったら、『スターウォーズ』シリーズのルーク・スカイウォーカー役、マーク・ハミルじゃないっすか!?マークはんなにやってはんの!?
映画『ブリグズビー・ベア(BrigsbyBear trailer)』予告動画