どこまで爆走するメチャクチャ人生!?〜映画『バッド・ルーテナント』

バッド・ルーテナント (監督:ヴェルナー・ヘルツォーク 2009年アメリカ映画)


ニコラス・ケイジ主演の悪徳警官映画『バッド・ルーテナント』観ました。観る前は「主演が"生え際要注意"のニコラス君だし、題材が題材だし、くどくて殺伐とした映画なんかなー」と思ってましたがあにはからんや、不思議な魅力を備えた実に良作の映画でしたよ。

物語は腰と人相の悪いハゲ気味警官テレンス(ニコラス君)が麻薬・恐喝・強姦・賭博・証拠隠滅・証拠品私物化・情報漏洩・犯罪者との結託・などなど、警官としてはもとより人としてもサイテーなありとあらゆることに手を染めながら、それでも最後にはなぜかきちんと事件を解決し、売春婦の彼女やアル中の両親ともうまくいき、昇進までしてメデタシメデタシ、という、考えようによっちゃあまりにもメチャクチャ、あまりにもアナーキー、あまりにもご都合主義、あまりにも人を小馬鹿にしたお話なんです。これ、こうやって書いちゃうとモラルゼロのクズみたいな人間が、さかしまなことばかりやりながら結局誰にも咎められず、社会にのうのうとのさばって生き永らえる、そういった不条理さを描いたピカレスクロマンのように思われてしまうでしょうが、実は全然そういうお話ではない、という部分が凄いんです。

主人公テレンスやってることはアンモラルなことであり犯罪行為であり、それを肯定するつもりはないんですが、彼はそういった一面とは別に、自分の仕事には一途で、この映画のそもそもの発端である不法移民一家5人の惨殺事件を執念深く追い続けもするんですね。恋人は売春婦ですが、そんなことなど全く気にかけずに惜しみなく愛情を注ぎます。仲の悪いアル中の両親とも困惑しながらも上手くやっていこうとします。意外とまっとうなところもあるんですよ。いや、例えばヤクザあたりが、表では恐ろしくアコギで暴力的なことをしておいて、でも家族には優しかったり動物や花を愛してたりとかしてて、それを指して「意外とまっとうなところもある」なんて言っちゃおかしいですけどね、そうじゃなくて、この映画の主人公の場合、非常に人間らしい"ブレ"があって、それがよく描けているなあ、と思ったんですよ。

人って判で押したような一個の性格があるわけじゃなくて、様々な性質が多層的に折り重なり、それが多面的に表出する複雑な複合体みたいなものじゃないですか。それは一つ一つをとってみれば矛盾していたりすることもあるのでしょうが、一個の人間の中では辻褄が合ってしまったりするんですね。だから本当は単にいい人がいないように単に悪い人もいない。同様に、モラルの問題にしたって、社会生活における道義性ということではなく、実はどれだけ社会に盲目的に従属しているかということでしかないのかもしれない、そういう相対的な側面もある。この映画はエンターティメント作品ですから、極端な物事が描かれ、その極端さを楽しむ造りになっていますが、こういう極端さは無くとも、意外と人間というのはこういった矛盾を内包しながら生きているもんじゃないでしょうかね。だからとんでもない人間のお話なのに、この映画は妙に主人公に共感できるし、憎めなかったりするんですよ。

バッド・ルーテナント 予告編


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