”ハーメルンの笛吹き男伝説”は真実なのか?/『ハーメルンの笛吹き男――伝説とその世界』

ハーメルンの笛吹き男――伝説とその世界 / 阿部謹也

ハーメルンの笛吹き男》伝説はどうして生まれたのか。十三世紀ドイツの小さな町で起こった、ある事件の背後の隠された謎を、当時のハーメルンの人々の生活を手がかりに解明していく。これまでの歴史学が触れてこなかったヨーロッパ中世社会の「差別」の問題を明らかにし、ヨーロッパ中世の人々の心的構造の核にあるものに迫る。新しい社会史を確立する契機となった記念碑的作品。

ハーメルンの笛吹き男》というとグリム童話でご存じの方が多いだろう。ネズミ捕りの報酬を反故にされた笛吹き男が、仕返しとして村の子供たち130人を笛の音で誘い何処かへと連れ去ってしまった、というちょっと怖い内容のお話である。実はこのお話、グリム兄弟の創作ではなく、今も存在するドイツの街ハーメルンにおいて1284年6月26日に起きた事件として実際に記録が残されており、それを基にした童話なのだ。

ヨーロッパ中世史の研究者、阿部謹也による『ハーメルンの笛吹き男――伝説とその世界』はこの物語を掘り下げ、様々な古文書の記述を比較しながら、「児童130人誘拐事件は本当にあったのか?」を検証しようとした著作である。その検証は「ハーメルン伝説の歴史的背景」から始まり、「中世ヨーロッパ社会の特性」、「中世と近代の社会構造や人間観の違い」を通して、「この伝承がどのように生まれ、その根幹となったものは何だったのか」を詳らかにするのだ。

そもそも本当に「130人の子供たちが誘拐される」などということが起こったのなら、それは恐るべき異常な事件であり、残された者の血を吐くような悲嘆と絶望は後世まで残って然るべきだろう。そして伝説化した《ハメルーンの笛吹き》の物語が100%そのままの事実ではないにしても、1248年に「何かとてつもなく恐ろしい出来事」が起こったのであろうことは間違いないと言えるのではないか。本書はそれを検証しようという試みなのだ。

それは「伝説の象徴するもの」から確かめられてゆく。中世において「笛吹き男」、「ネズミ捕り男」とは何か?彼はなぜ派手な服装をしていたのか?子供たちは行方不明になったのか、死亡したのか、別の場所で発見されたのか?疫病や戦争の暗喩なのか?当時の宗教観がこの物語に影響を与えてはいないか?等々、様々な仮説と事実との狭間を渡り歩きながら、この伝承が生まれることになった中世ヨーロッパ世界そのものを明らかにしてゆく。

これまで知らなかったヨーロッパ中世の在り方が次々とあからさまにされてゆく記述はおそろしくスリリングであり知的興奮に満ちたものだ。ただの童話だと思っていた物語の背後にはいったいなにが隠されていたのか?これ1冊だけでもヨーロッパ中世の見方が変わってくる、そんな名著である。