ラテンなアメリカの文学なるものをあれこれ読んでみた

なぜか突然ラテンアメリカ文学なるものに目覚め、何冊か集中して読んでしまった。自分でも理由は分からない。欧米的なストーリーテリングに飽きてきたからなのかもしれない。なにしろこのテのジャンルはマルケスとプイグを1、2冊読んだだけの全くの門外漢だし(そのくせ時々”マジックリアリズムがどうたらこうたら”と知ったかぶった文章を書いたりしていた)、作家や作品のセレクトは行き当たりばったりなのだが、取り敢えず岩波文庫から出ているものを中心に読んでみた。オレが今までの人生で岩波文庫をこれ程まとめて読んだのは始めてのことで、別の意味でも新しい経験であった!では読んだ本などを紹介。

■ペドロ・パラモ / フアン・ルルフォ

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモという名の、顔も知らぬ父親を探して「おれ」はコマラに辿りつく。しかしそこは、ひそかなささめきに包まれた死者ばかりの町だった…。生者と死者が混交し、現在と過去が交錯する前衛的な手法によって、紛れもないメキシコの現実を描出し、ラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった古典的名作。

かのボルヘスが「この本を読んで文体を勉強しろ」と誰かに言ったとか言わないとかいう曰くつきの作家アラン・ルルフォの作品である。長編といってもなにがしかの物語があるというわけでもない。上に抜粋した紹介文にあるように、「生者と死者が混交し、現在と過去が交錯する」といった内容で、生者の話だと思っていたら実は死者だったり、死者だと思っていたら生者のように喋っていたりする。さらに時系列が混沌と行き来し、現在と過去が同列に語られていたりもする。しかしこれは”前衛的”なものを狙ったというよりも、どこかラテンアメリカ人の死生観、時間感覚に根ざした物語なのだと思う。死生観と時間感覚が異なる、ということは、現実というものの認識の仕方が違うということだ。こういった西欧的な認識と全く異なるオルタナティブな視点がラテンアメリカ文学の新鮮さであり一つの醍醐味なのだろう。この『ペドロ・パラモ』も、その圧倒的な異質さが物語に凄みをもたらす。そういえばメキシコには町中に骸骨が溢れ返る「死者の日」といお祭りがあるが、それを思い出してしまった。

■悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 / コルタサル

夕暮れの公園で何気なく撮った一枚の写真から、現実と非現実の交錯する不可思議な世界が生まれる「悪魔の涎」。薬物への耽溺とジャズの即興演奏のうちに彼岸を垣間見るサックス奏者を描いた「追い求める男」。斬新な実験性と幻想的な作風で、ラテンアメリカ文学界に独自の位置を占めるコルタサルの代表作10篇を収録。

ラテンアメリカ文学というと動植物の蠢く密林や乾ききった荒地を舞台にしたマジックリアリズム、とバカの一つ覚えのように思っていたオレであるが、コルタサルのこの短編集はそれを一蹴してしまった。殆どの物語がヨーロッパ、それもパリを舞台にし、主人公はそこそこ裕福で知的であり、描かれる物語は実に現代的なのだ。しかしこれは、ラテンアメリカ人のアイデンティティの一つが、かつての征服民族が住むヨーロッパにもあるということなのだ。そして物語の内容がまた、面白い。オレは河出や早川から出ている”奇妙な味”と呼ばれる作品集を好んで読んでいた時期があったが、この『コルタサル短篇集』は、それらに勝るとも劣らない非常に優れた”奇妙な味”の作品が並ぶ。ある意味”ラテンアメリカ文学”などと肩肘張らずに多くの人に読んでもらいたいほどの内容だ。どの作品も鮮烈な読後感を残すが、特に何週間も続く渋滞を描いた『南部高速道路』のシュールさと突然加速を始めるラストの疾走感が個人的に気に入った。

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 / カルロスフエンテス

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

「…月四千ペソ」.新聞広告にひかれてドンセーレス街を訪ねた青年フェリーペが,永遠に現在を生きるコンスエロ夫人のなかに迷い込む,幽冥界神話「アウラ」.ヨーロッパ文明との遍歴からメキシコへの逃れようのない回帰を兄妹の愛に重ねて描く「純な魂」.メキシコの代表的作家フエンテスが,不気味で幻想的な世界を作りあげる.

フエンテス短篇集』は上で紹介したコルタサルのような”奇妙な味”路線だが、コルタサルよりも感傷的な作風であり、物語展開もストレートだ。そしてコルタサルがヨーロッパ的なアイデンティティの中に作品の主題を見出していたのに比べ、フエンテスはヨーロッパとラテンアメリカの間で引き裂かれながら、最終的にラテンアメリカに回帰しようとしているように見える。…なーんて書いたがこれは解説の受け売りだ!ただそういった”裏テーマ”を抜きにしても、奇妙で不気味な物語が並ぶ作品集として楽しむことは十分可能だ。そしてこの作家の物語はどれもどことなくじめついていて暗く、救いの無いものばかりである。抗えない死と残酷な運命に翻弄される人々を描くフエンテスの作品集は、メキシコという国の持つ苦痛と苦悩に満ちた歴史性にどこか通じているのかも知れない。

グアテマラ伝説集 / M.A.アストゥリアス

グアテマラ伝説集 (岩波文庫)

グアテマラ伝説集 (岩波文庫)

マヤの神話、インディオ世界への深い共感と愛惜をこめて書きあげられた、グアテマラノーベル賞作家アストゥリアス(1899‐1974)による“魔術的リアリズム”の傑作。「「大帽子の男」の伝説」「「花咲く地」の財宝の伝説」「春嵐の妖術師たち」など、古代マヤ、植民地時代の信仰と伝説が力強く痙攣する蠱惑的な夢の精髄。

”伝説集”と言っても口碑伝承をそのまま採ったものではなく、作者であるアストゥリアスがそれらを彼自身の脚色で以て改めて描いた作品集であると思ってもらったほうがいいだろう。通底にはマヤ神話・インディオ伝承はあるものの、スペイン入植後の時代まで含まれた伝説がここでは描かれる。そしてその筆致は極彩色の色合いを帯びた詩的で幻想的な表現に満ち、書き表される言葉そのものが生き物のように息づき蠢く絢爛たる文学世界を表出させている。それはあたかも文章を読む行為というよりもページに敷き詰められた色とりどりの輝石のその彩りから情景を汲み取る行為を要求されているかのようだ。しかし、そんな文章なので、読み難い(笑)。頭の中で翻訳不可能なイメージが交差し過ぎて時々訳が分からなくなる(もう一回笑)。嘘。半分ぐらい訳が分からない(さらに笑)。もちろんこれはオレ自身の読解力の問題なのであって決して作品を貶めるものではない。訳が分からないなりにこの独特の文章世界に圧倒されたのは確かで、そして退屈もしなかった。なお作品集後半は中編程度のボリュームがある戯曲「ククルカン」で占められるが、これがまた凄まじいエキゾチズムを放つ難作で…。マジック・リアリズム、恐るべし(と〆ておこう)。