ガリバー旅行記 / ジョナサン・スウィフト (著), 山田 蘭 (翻訳)
架空の四つの国を訪れることになるガリバーを待っていたものは?17世紀の英国に材料を採りながら、人間と社会にむけて痛烈な風刺の矢をはなった諷刺文学の最高傑作。ファンタジーの古典。全体は四部からなり、小人国(リリパット)、巨人国(ブロブディンナグ)、飛び島(ラピュタ)その他、馬の国(フウイヌム)を、ガリバーが次々と訪れての体験談になっている。
『ガリバー旅行記』といえば小人の国での奇妙な冒険を描いた誰もが知る古典小説だろう。作者はアイルランドの作家ジョナサン・スウィフト、出版されたのが1726年というからかれこれ300年ほど前の作品ということになる。童話を思わせる空想小説という部分から児童文学だと思われがちだが、実は当時の政情・国情を暗喩しこれを批判した実に辛辣な諷刺小説なのだ。
『ガリバー旅行記』は小人国リリパットだけの物語ではない。物語は4部で構成され、大男の国「ブロブディングナグ」、空飛ぶ国を描き宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』の原点として有名な「ラプータ」、不死人の国「ラグナグ」、魔法使いの国「グラブダブドリブ」、当時の実際の日本が舞台の「日本渡航記」、知的な馬たちの支配する国「フウイヌム」が物語られることになる。
小人国を描く【第1部・リリパット国渡航記】、大男の国を描く【第2部・ブロブディングナグ国渡航記】は対にして読めばその極端なスケール感の転換に楽しさがより伝わってくるだろう。だがこの一見単純な空想小説が諷刺小説だとは俄かに理解し難い。ポイントは作者スイフトが「18世紀のアイルランド人作家」という部分だ。「リリパット」や「ブロブディングナグ」は当時アイルランドを搾取していたイギリスの政策を痛烈に皮肉ったものらしいのだ。そして「リリパット」と戦争していた国はフランスを揶揄したものだという。
【第3部・ラプータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリブ、日本渡航記】において登場する「飛行国家ラプータ」は、極端な科学技術の発達とそれによりイビツな生活を営む人々を批判したものだ。また「バル二バービ」は「ラプータ」によって搾取される地上の国で、これもイギリスとアイルランドの関係を揶揄しているという。「ラグナグ」では不死人ストラルドブラグ人の存在が語られるが、彼らは不死ではあっても不老ではない。これは「限りある人生」がひとつの救済であることを描いているだけでなく、死ねずに衰えてゆくだけの人々の姿は社会問題となっている現在の長寿国家の在り方を否応なく想起させる。
「グラブダブドリブ」は幽霊を呼び出すことの出来る魔法使いたちの国だ。ガリバーは過去の偉人賢人の幽霊を呼び出してもらいその偉大さに感激するが、近代ヨーロッパ君主になるとその愚かさばかりが目に付くようになる。これなどは近代ヨーロッパの治世そのものへの幻滅を描くものなのだろう。そして興味深いのが「日本渡航記」。横須賀や長崎と思われる土地、徳川将軍と思われる人物が登場し、「踏み絵」の施行までもが描かれる。『ガリバー旅行記』の中で唯一現実の国として登場する日本だが、他の架空の国と同等の限りなく異質な世界として認識されていたのかもしれない。
最終篇【第4部・フウイヌム国渡航記】は『ガリバー旅行記』において最も優れたアレゴリーを備えた名篇だ。ここでガリバーが出会うフウイヌム人とは言語を持ち優れた知性と豊かな文化を誇り高貴な暮らしを営む《馬》のことなのだ。一方フウイヌム国には知性劣悪にして野蛮で不潔極まりないヤフー人種族が存在し、フウイヌム人に家畜として使役されているが、彼らの姿は《人間》なのである。
ここで「人間/動物」の逆転した姿を描くことで、《人間》という存在そのものが獣の如きものであり、いかに愚劣で野卑で救いようのないものであるのかを徹底的に描写するのである。ここでの舌鋒鋭い人間存在の否定は心胆寒からしめるものであり、『ガリバー旅行記』における真骨頂となっている。こういった物語構造はオーウェルの『動物農場』に強い影響を与え、さらにピエール・ブールに『猿の惑星』という諷刺SFを書かせている。また、獣人間「ヤフー人」は沼正三のSF小説『家畜人ヤプー』へと形を変え、家畜となった日本人を描くことになるのだ。即ち『ガリバー旅行記』は、300年前に描かれた痛烈なる文明批判の書でもあったのだ。