それは蜃気楼の町アステロイド・シティ/映画『アステロイド・シティ』

ステロイド・シティ (監督:ウェス・アンダーソン 2023年アメリカ映画)

ウェス・アンダーソン監督の新作映画『アステロイド・シティ』は、砂漠に覆われた架空のアメリカの町アステロイド・シティを舞台にした群像劇となる。この町の名前はここに大昔に衝突したとみられる隕石クレーターに由来しているらしい。

これまでの多くのアンダーソン監督作品と同じように、この作品もペールトーンで統一された美しい色彩と偏執的で様式的なカメラアングルで占められ、大スターが大挙して出演し、ふわりとしたユーモアの漂う作品として完成している。ファンには「いつものファンシーなアンダーソン映画」に、アンダーソン嫌いには「いつもの気取ったアンダーソン映画」として捉えられるだろう。しかしかつてアンダーソン映画嫌いであり、現在は大ファンであるオレとしては、この作品がこれまでのアンダーソン作品と奇妙に違うテイストを持ったものと感じた。

【物語】1955年、アメリカ南西部の砂漠の街アステロイド・シティ。隕石が落下して出来た巨大なクレーターが観光名所となっているこの街に、科学賞を受賞した5人の少年少女とその家族が招待される。子どもたちに母親が亡くなったことを言い出せない父親、映画スターのシングルマザーなど、参加者たちがそれぞれの思いを抱える中で授賞式が始まるが、突如として宇宙人が現れ人々は大混乱に陥ってしまう。街は封鎖され、軍が宇宙人到来の事実を隠蔽する中、子どもたちは外部へ情報を伝えようとするが……。

アステロイド・シティ : 作品情報 - 映画.com

まずこの物語は「舞台劇として製作される作品の舞台裏を描くTV番組」という大枠がまずあり、その中で描かれる「舞台劇の物語を映画として物語る映像」としての本編、という入れ子構造を成している。これは「映画本編」はあくまでフィクションですよ、ということだが、そもそもこの映画はもともとフィクションであり、それを改めてフィクションであると宣言すること、さらにこれが「(おそらく映画本編と同じアメリカ50年代の)舞台劇」だと設定すること、この辺りがこの作品の謎の一つとなる。

そして本編となるアステロイド・シティの物語は、「アンダーソン監督らしいファンシーな映像」でありながら、その舞台は荒涼とした砂漠であり、そこで描かれる様々な人間関係も、「アンダーソン監督らしいふわりとしたユーモア」を交えながらもどこかエモーションに乏しく、描かれる人間関係が最終的に何かに結実したり変化したりすることがない。彼らは皆砂漠の町にそれぞれの理由でやってきて、ある事件により足止めを食らいつつ、その拘束が解除されるとただ三々五々解散するだけなのだ。即ち全てのドラマがドラマにならないまま、何事もなかったかのように終了してしまうのである。

映画の最初で宣言されたように、フィクションの町アステロイド・シティは、それは絵空事の存在であり、そこに登場する人物もまた、全て絵空事の人物だということである。それは蜃気楼のように虚ろで、そして亡霊のように実体がなく、そのドラマにしてもひどく空っぽだ。しかし空虚でありながらこの作品は失敗作だとは感じない。むしろアンダーソン監督がこれまでと違うものを描こうとした結果なのだと思えるのだ。ではいったいこの空虚さは何なのだろう?

同時にこの作品は、アメリカ人監督でありながら無国籍的な・あるいは他の国を舞台にした作品の多いウェス・アンダーソンフィルモグラフィーの中で、珍しく「はっきりとアメリカを舞台にした、当然アメリカを意識せざるを得ない物語」として製作されている。つまりはこの映画のテーマの全ては、舞台となる50年代アメリカそれ自体を描こうとしたものなのだ。

50年代アメリカはパックス・アメリカーナと呼ばれる「アメリカの覇権」の全盛期であり、成熟した経済による繁栄を謳歌した「黄金時代」だった。しかしそういった豊かさとは裏腹に冷戦構造とマッカーシズムパラノイアが社会に影を落としていた時代でもあった。映画の舞台となるアステロイド・シティの外れでは原爆実験が行われ、それは冷戦構造と直結し、物語内のUFOにまつわるエピソードはパラノイアックな集団ヒステリーを連想させる。その中で一見豊かな生活を謳歌しているように見える登場人物たちは亡霊のようにおぼろで、「これはフィクションだ」と断言されるがごとく実体がない。

全てが空虚であり虚像であり、映画を観終わった後にさえアンダーソン監督作品とは思えないほどの寂寞感が漂う。一見「ファンシー」であり「ふわりとしたユーモア」で彩られているのも関わらず、どこか物悲しく寒々としたものを覚えさせる。それは全て50年代アメリカのひずみ、虚像、空虚さを描いたからなのではないのか。その中で眠りと目覚めについてのメッセージが描かれるこの物語は、「それでも映画というフィクションの豊かさを信じたい」という監督自身の想いだったのではないだろうか。

Asteroid City (Original Soundtrack)

Asteroid City (Original Soundtrack)

  • ABKCO Music & Records, Inc.
Amazon