中華ファンタジー・アニメーション映画『羅小黒戦記〜ぼくが選ぶ未来〜 』を観た

■羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)〜ぼくが選ぶ未来〜 (監督:MTJJ木頭 2019年中語映画)

f:id:globalhead:20201109101258j:plain

最近劇場で観たいと思うような映画がまるで公開されなくて、映画館通いも暫くお留守だったが、そんなある日オレの相方がこう言ったのである。「中華アニメ観ようぜ」。タイトルは『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)〜ぼくが選ぶ未来〜 』。なんでも一部で話題沸騰中なのだという。アニメを観る事は殆ど無いオレだったが、相方の誘いなら乗ろうじゃないか。という訳で例の国産アニメでごった返す劇場へと足を運んだのだ。

『羅小黒戦記』はファンタジー作品となる。妖精と人間が共生する世界を描くものだが、ビルが建ち車が走る現代の社会を舞台にしている所が面白い。主人公は開発により森を追われた猫の妖精・ロシャオヘイ(羅小黒)。人間社会を放浪するロシャオヘイは妖精であるフーシー(風息)ら一行に救われ、隠れ里でやっと安息を得るが、そこに「最強の執行人」と呼ばれるムゲン(無限)という人間が現れ、フーシーらと魔術対決を繰り広げた後、ロシャオヘイを連れ去ってしまう。ムゲンの目的は何なのか。「執行人」とは何なのか。フーシー一行はロシャオヘイを救う事が出来るのか。

面白い作品だった。まず、当然ではあるが日本のアニメとは物語や作画の「約束事の在り方」、別の言い方をするなら「フォーマット」が違うという部分が新鮮だった。まるでアニメを見ないのに知ったようなことを書くなら、物語の流れ方、エピソード時間の切り方、キャラクターの活かし方が違うなと思えたし、作画においてもキャラ彩色がフラットで影を付けて無理に立体感を出そうとしていない部分が物珍しく感じた。この彩色の在り方は日本初の長編カラー・アニメーション『白蛇伝』を連想した。さてこの作品の”売り”の一つとなっているバトルシーンはどうだろう。これが凄い、スピードが速い、スペクタクルでスリリングだ(上手く表現できないから横文字で誤魔化す)、相方は「速すぎて目が追いつかなかった」と言っていたがFPSゲームマイケル・ベイ映画で鍛えられたオレは割と追いつけた。それは地を駆け宙を舞い魔術パワーがぶつかり合う変幻自在なものだが、そこは中国だけにサイキックパワーや魔術ではなく「仙術」と言ったほうがいいのだろう。これらにはツイ・ハーク監督作品に通じる中国武侠映画の流れを感じた。ただ、和製アニメでも割と多そうなこういったバトルシーンとどれだけ違うのか、アニメ的語彙の少ないオレには表現のしようが無くて、だから文章で書こうとすると、どうにももどかしく感じる。

物語の構成の在り方からは「大きな物語の中の一つのエピソード」であるように思えた。後で調べるとやはりそういった立ち位置にある物語らしく、もともとはWebアニメとして公開されていた作品の、4年前の事件を描いた物語なのらしい。ただしこの作品だけ観ても十分楽しめるものとして作られている。また、だからこそ作品の持つ世界観の広大さが透けて見え、キャラクターにしても厚みのあるものが感じさせられ、物語により大きな興味を掻き立てられるのだ。

物語それ自体はどうだろう。安寧として過ごしていた豊かな自然を追われた妖精・精霊たちと人間との対立といったテーマはそれほど珍しいものではなく、ジブリアニメ辺りでも何作かあったが、それが後半『AKIRA』と化してしまう部分が現代的と言えるか。むしろこの作品では「自然を脅かす人間ダメ絶対」といった「環境問題映画」にはならずに、主人公ロシャオヘイが「人間側(共生)」と「反人間側(抵抗)」のどちらに与するべきか板挟みになる部分に独特さがある。

それはまた、クリーンに管理された近代化社会と自由でアナーキーな前近代社会のどちらを選択するのか、という物語でもある。そして歴史の不可逆性は望むと望まないとにかかわらず否応なく未来へと邁進してゆく。そこで後ろを振り返ることなく「共生」を選択してゆく主人公たちの姿には、矛盾を孕みながらも発展してゆく現代中国の姿が重ね合わされているのかもしれない。……と適当に思いついたことを書いてここは結んでおこう。 

www.youtube.com