馬!馬!馬!矢!矢!矢!〜映画『ロビンフッド』

ロビンフッド (監督:リドリー・スコット 2010年アメリカ・イギリス映画)

■ところでリドリー・スコットってどうよ?

そういえば、随分前からリドリー・スコットの監督作品には興味が無くなっていたなあ、と思ったのだ。結局オレのような輩は、リドリー・スコットを10年1日の如く「『エイリアン』と『ブレードランナー』の監督」と未だ言い続けているようなファンだし、それ以外でも『レジェンド / 光と闇の伝説』、『ブラック・レイン』、『グラディエーター』、『ブラックホーク・ダウン』と好きな映画はあるものの、近作では『ワールド・オブ・ライズ』をレンタルで観たくらいで、今では"新作が出たら必ず観る"ような監督では全然無くなってしまった。そもそも「なんじゃこりゃ?」と思い始めたのが『テルマ&ルイーズ』あたりで、その後の作品はとりあえず評判を確かめてから観るぐらいだ。結局初期の映像のこだわり方をしていた作品が好きだったのであり、近作はどうも職業監督といったイメージしかなくて、それで観なくなったような気がする。

というわけでリドリー・スコット監督の最新作『ロビンフッド』である。最初は「また史劇かあ」と思ったのである。リドリー・スコットの史劇がまずいわけではなくて、オレ自身がそんなに史劇に興味が沸かないのだ。確かに『グラディエーター』は物凄く面白く観たが、『1492 コロンブス』や『キングダム・オブ・ヘブン』あたりには食指が動かなかった。これはフィクションの占める比重がどれだけ違うかによるのだ。『グラディエーター』は時代設定を借りたアクションメインの映画だと思って観たけど、それ以外の作品は固っ苦しい時代考証でガチガチの歴史のオベンキョさせられてるような映画観せられんのかなーと思って興味が失せてしまう。しかしこの『ロビンフッド』、誰もが名前は聞いたことはあるだろうが、実際のところロビンフッドというのは伝説上の人物だ。モデルはあったようだが、いわばフィクショナルな人物なのだ。そうなると、『グラディエーター』のようなフィクションの生きた物語として完成しているのか?と期待してしまう。

■遠い昔、シャーウッドの森で…

主人公ロビン・フッドイングランドリチャード1世の軍勢に参加する傭兵の一人だった。そのイングランド軍は十字軍遠征から帰還する途中のフランスで、やりたい放題の略奪三昧とも言っていい戦闘を繰り返す。リチャード1世はここで命を落とし、とっとと帰ろうとしたロビンとその仲間たちはひょんなことから死んだ王の王冠とある騎士の剣を届けることとなってしまう。そしてイングランドに帰ったロビンは剣を届けた宗園でその地主の義理の娘マリアンとわけあって夫婦として過ごすこととなる。一方イングランド新王ジョンは無能な暴政で辺境貴族の不興を買い、それは暴動へと膨れ上がり、さらに王室の裏切り者の手によりフランス軍が隠密裡にイングランドに上陸、この地を我が者にせんと謀略を巡らせていた…という物語。

映画冒頭のリチャード1世軍による攻城戦がまず見所だ。舞台となる12世紀あたりだとそれは殆ど蛮族同士の闘いにしか見えない荒々しいもので、剣だの槍だの弓矢だので肉弾戦を繰り広げるその様子は野蛮だあ!原始的だあ!とか言いつつ興奮させられる。その後死んだ騎士に剣を託され訪れたノッティンガムで領主に「ま、息子生きてたことにして義理の娘の婿として生活しろや」とか言われてほいほい食いつくロビンがなんだか可笑しい。そしてここで出会ったマリアン演じるケイト・ブランシェットがなにしろいい!冷ややかだが寂しげな表情と毅然として気品ある立ち振る舞い、農民たちに向ける優しさ、いざとなったら剣だって抜く覚悟のよさ、もう魅力あるヒロインの王道を貫いている。このマリアンがロビンとの共同生活を急に押し付けられ、ツンツンしながらロビンに接する様子、その後徐々に心を通わせあう二人、といったツンデレな展開を描いたドラマ部分が予想外のロマンチックさで映画を盛り上げていた。

そんなマリアンは裏切り者の摂政ゴドフリーとフランス軍隊により絶対の危機に至る。そこに白馬の騎士の如く颯爽と登場するロビンがカッコイイ!きゃあ!きゃあ!ロビン素敵!などと黄色い声の一つも上げたくなるがそれはまわりにとって気持ち悪いだろうから止めておく。そしてクライマックス、イングランドに上陸したフランス軍隊とイングランド軍の一騎打ちがとにかく凄い!なにしろ走り回る馬!馬!馬!飛び交う矢!矢!矢!やったれや!ロビンさんやったれや!にっくきフランス軍をいてこましたれや!と画面に向かってこぶしを振り上げ応援したくなること必至である。そしてやっぱり、剣が唸り矢が飛び兵士の肉と肉がぶつかり馬がいななく史劇の戦闘シーンはどうしても『ロード・オブ・ザ・リング』を思い出してしまうが、そちらのファンの方にもきっと気に入ってもらえるに違いない。もうこのクライマックスの戦闘シーンだけでも見応え十分なので、映画館に足を運ばれても決して損は無いだろうと思う。

■自由と正義

とまあアクション満載で十分楽しめた『ロビン・フッド』だったけど、それはそれとして、なぜリドリー・スコットはこの映画を撮ったのか?ということを考えてしまう。この映画の裏テーマとして登場しているのは実は「マグナ・カルタ」、いわゆる「大憲章」の存在だ。オレは「大憲章」がなんであるかきちんと説明できるほど知識は無いが、少なくともこの映画では専制的な政治支配に対する民衆=一個人の自由を謳うものであるととった。さらにそれはいわゆる揺ぎ無い正義の象徴であった。貧しい農民たちを助け辺境貴族諸侯に「我らに自由を!」と鼓舞するロビン・フッドの描かれ方は、その正義のあり方自体がリドリー・スコットという監督の中心的な作品テーマだと言うことが出来るんじゃないだろうか。

キャリア中盤からのリドリー・スコットは、実はこの"自由と正義"についての映画を撮っていたんじゃないかと思うのだ。監督作品全作観ている訳では無いから断言できない部分もあるが、例えば『ブラックホーク・ダウン』はソマリアに派遣された国連軍兵士たちの何が正義なのか分からない混沌とした戦いを描いてたし、『ワールド・オブ・ライズ』ではやはりアメリカと中東の狭間でどちらが正義なのか揺れ動く工作員の心情を描いた映画だった。『キングダム・オブ・ヘブン』は十字軍としてエルサレムに赴きながら最後は十字軍の大義ではなく民衆の為にサラディンと戦う男の物語だった。つまりリドリー・スコットは強大な権力の狭間にある個人の自由と正義とは何か、という映画をずっと撮ってたんじゃないかと思うのだ。そしてこの『ロビン・フッド』でもそのテーマのあり方が貫かれていたんじゃないのかな。

しかしな。結局、ボンクラ映画ファンのオレとしては血飛沫舞うアクション・シーンには心躍るが、テーマとしての正義とか自由にはたいして興味が無かったりするのよ。そんな部分があるから最近のリドリー・スコット映画に食指が動かなかったんだろうなあ。まあしかし、そんな硬い話抜きにしても『ロビン・フッド』はいい映画だったし、みんなも観るといいと思うよ!

ロビンフッド 予告編