職人監督リドリー・スコットがそつなく作り上げた娯楽作/映画『ハウス・オブ・グッチ』

ハウス・オブ・グッチ (監督:リドリー・スコット 2021年アメリカ映画)

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リドリー・スコットという職人監督

リドリー・スコットは職人監督だと思う。どんなテーマの作品でもそつなく撮り、どれもある程度の評価と興行成績を得る。熟練であり、ネームバリューもあり、映画史に残る幾つかの作品を監督している。映画業界における一級のビジネスマンでもあるのだろう。オレも好きな監督であり、熱狂的に支持する作品は何作もあるが、ただその「そつのなさ」から監督自身のカラーや映画監督としてのデーモンというものが今一つ分かりにくい部分がある。

『ハウス・オブ・グッチ』はそのリドリー・スコット監督の最新長編となる。前作『最後の決闘裁判』がついこの間公開されたことを考えると異例のリリーススピードだ。COVID-19による撮影中断もあったというが、2本の作品を20ヶ月で撮っているのだ。しかも既に次の作品(ナポレオン伝記映画)の撮影に入っているという。この辺りの仕事の速さも職人監督と思わせる所以だ。

映画『ハウス・オブ・グッチ』

さて映画『ハウス・オブ・グッチ』は誰もが知る高級ファッション・ブランド、グッチの創業一家の愛憎劇を描いた実話物語になる。サラ・ゲイ・フォーデンのノンフィクション『ザ・ハウス・オブ・グッチ』を原作としているが、このテのノンフィクションによくあるように原作者の主観やシナリオ段階における脚色も当然存在するので、いわゆる「事実に基づいた”ストーリー”」ということになっている。

【物語】世界的ファッションブランド「グッチ」の創業者一族出身のマウリツィオ・グッチにとって経営参加は魅力的には映らず、経営権は父ロドルフォと伯父アルドが握っている状態だった。そんな中、グッチの経営権を握ろうと野心を抱くパトリツィア・レッジアーニはマウリツィオと結婚し、グッチ家の内紛を利用して経営権を握っていく。しかし、一族間の対立激化と共に夫マウリツィオとの関係が悪化し、夫婦間の対立はやがてマウリツィオ殺害事件へと発展していく。

ハウス・オブ・グッチ - Wikipedia

有名ブランド・グッチ創業一家の愛憎劇

この『ハウス・オブ・グッチ』は有名ファッション・ブランドにかかわるスキャンダラスな内容であるという以外、物語それ自体に特筆すべきものはない。世界的高級ブランドとして歴史を築いてきたグッチ一家に、パトリツィアという名の一般庶民の女が嫁ぐ。彼女は野心的に経営に口を出すようになるが、それがもとで夫と対立することになり、愛が憎しみへと変わってゆく、といったものだ。

しかしパトリツィアの抱いた野心それ自体は至極真っ当なものであったと思う。彼女の野心は、名声に胡坐をかき古色蒼然とした経営を続け、次第に時代についていけなくなったグッチ・ブランドに一矢報いるためのものだったのだ。それは経営に関わった者として、「ファミリー」を第一義として考える者として、当然のリアクションではないか。それに対し夫でありグッチ家の御曹司であるマウリツィオは父と叔父の顔色をうかがうばかりで暖簾に腕押しの態度だ。その齟齬が最終的に二人の決裂を生むことになってしまう。

とはいえ、実話を基にしているにしても、こういった構図の物語にそれほど新鮮味を感じられないのも確かだ。要は「名家に入った一般人があれこれ口出ししたばかりに煙たがられハブられる」といったありふれたお話で、それが最後にサクセスストーリーになるか悲劇になるかといった違いがあるだけだ。そういった部分で物語それ自体に特筆すべきものはないと思えたのだ。

下世話な物語と素晴らしい配役

しかしこの作品が観客に提示するもの、もしくは観客が作品に求めるものは、「世界的有名ブランドにまつわる醜いスキャンダル」を目撃したい、というひどく下世話なものであろうと思う。誰もが憧れる高額極まりない商品とそれを売る富豪一家、それを購入できる富裕層たち、それらを取り巻く名声と虚飾と蕩尽、そういった世界への羨望と、そういった世界の人々が地に落ちることへの嗜虐的な喜び、それが『ハウス・オブ・グッチ』の提示するものではないか。

ただ、それだけのものにも関わらず、リドリー・スコットらしいきっちりした演出は157分という上映時間に繋がり、観ていて長く感じたのも確かだ。舞台となるイタリアの風景や贅を尽くした住空間と衣服など、眺めていて楽しい部分もあるが(絵作りといった点では凡庸)、基本は職人監督リドリー・スコットがさくっとそつなく作り上げた平均点以上でも以下でもないプロダクツの一つのように見えてしまった。

ただしこの作品で真に特筆すべきものは出演者の豪華さだろう。レディー・ガガアダム・ドライバージャレッド・レトジェレミー・アイアンズサルマ・ハエックアル・パチーノと、映画ファンなら垂涎モノの配役ではないか。彼らが一堂に会しスクリーンで丁々発止の演技を繰り広げるのを観るのはまさに眼福だ。アダム・ドライバーは安定の良さだったが、特に主役たるレディー・ガガの存在感が素晴らしい。彼女が演じるパトリツィアの、その時々の状況における表情や感情の移り変わる様が非常に豊かであり、同時に強烈な個性を感じさせ、作品それ自体を彼女の存在感で牽引しているのだ。このレディー・ガガに刮目するだけでも作品を観る価値があるとも言える。