最近観たDVDなぞ

相変わらずしょうもない映画ばかり観ているオレなのであった。

キャビン・フィーバー

キャビン・フィーバー」である。山奥の豪奢な別荘でナウなヤング達が三日三晩ノンストップでフィーバーしまくるという青春きらめきダンス・ムービーである。というのは嘘で、山奥の掘っ立て小屋に集まった若者達が謎の伝染病に侵され一人また一人と血塗れになりながらおぞましい死を迎えるという恐怖と戦慄のゲロゲロホラー・ムービーである。
それにしても「山ん中」→「見るからにお馬鹿な若者たち」→「突然襲い掛かる理不尽な死」→「ウマー」という黄金の図式はどうしてこうも好かれているのであろうか。「チクショウ、若いくせにマブ目のスケ連れて車乗り回してレジャーなんぞにうつつを抜かして旨い酒飲んでハメ狂ってへらへら楽しく生きてる連中なんて皆死ね死ね死んでしまえ」という人間なら誰しもが思うであろう(思わないって)豊かな心の産物(違うって)であろうか。
オレの実家も町外れともなると人間の手がまだ触れない広大な原野が広がっているような所謂クソド田舎であるが、こんな場所を通る国道なんぞをママチャリで走っていると(車の運転嫌いなんだよ!)「ここ、死体捨てても絶対発見されねえよなあ」としみじみ思うものである。「死体捨てても発見されない」→「一人二人ぶっ殺してもバレる事は無い」という安直な連想から、煎餅でも齧るみたいに気軽にヒトゴロシをしてしまうのであろうか。
ただこの「キャビン・フィーバー」の新しいところはジェイソンやらブギーマンみたいな殺戮者が登場するわけでもなく、死者の書ネクロノミコンから悪霊が現れるわけでもなく、恐怖の対象が死病であると言うことかな。ここで描かれる病原体はエボラ出血熱によく似た、体中から血を噴出して死に至る、きわめて致死率と伝染性の高い架空のものであるが、しかし超常的なものではないのだ。そして感染者は捨て置かれるかブチ殺され、誰が感染しているのかわからない人間達は疑心暗鬼に駆られ殺しあう、という、殺戮者であるモンスターが人の心の中の恐怖心である、というところが、この手のホラーの中では新機軸ということができるだろう。
映画の進行も独特のペースだし、物語りにも妙なユーモアがあったりして、結構この監督は次作で化けるかもな。

エイリアンvsヴァネッサ・パラディ

エイリアンvsヴァネッサ・パラディ [DVD]

エイリアンvsヴァネッサ・パラディ [DVD]

舞台はメキシコ、うらぶれた小さな町に住むヴァネッサ・パラディは歌手になる夢を抱いていた。しかし彼氏はムショに入れられちゃうし、パパはわからず屋だし、変な音楽プロデューサーはまとわりついてくるし、もう大変。そしてそんな町に、ある日恐怖の殺人エイリアンの群れがやってくるのだが!?どうするヴァネッサ・パラディ!?
ええと。もうなんっちゅうかサイテーな映画である。これはもう清々しいほどのサイテーさである。今年の「ホゲホゲバカ映画大賞」を上げたい位である。出てくる人間がヴァネッサ・パラディを除いて誰も彼もバカで無知で無能でサイテーなのだ。そのヴァネッサさんだって、映画冒頭では無意味にミュージカルしちゃってるしな。
なにしろ揃いも揃ってやる気が無いか無意味に興奮しているかどちらか。そして全編を通して「どうでもいい」感じが漂っておる。でもね。みんなさあ、民主主義って奴を闇雲に信用しすぎてない?民主主義って、やっぱこういうアホアホサイテーなのも含めて民主主義だからな。だからエエじゃないか。バカなオレが今生きてられるのも民主主義のおかげだともいえるしな。だからバカ万歳!バカサイコー!とこの際言ってしまおう!
ラストもオチを付けるのを完璧に放棄している。なんなんだいったい。これでヴァネッサさんが出演していなければ目も当てられないが、逆に、こんなアホな映画に何故ヴァネッサさんは出演したのであろう?個人的にはちょびっと若すぎて細すぎて好みじゃないのだが。
結局、このスカスカの馬鹿さ加減を楽しむ映画でもあり、トロマなどの馬鹿ホラーを楽しめる方ならOKかと。かくいうオレ自身も、「ま、アリにしとこう」と生温い視線を画面に送っておりました。というわけでヴァネッサさんには次作で悪魔の毒々モンスターと闘って頂きたい。