ホラー映画断章

ホラー映画ってさあ、マスコミのホラー叩き以前に、あんまり地方でやらなくなってきてません?オレの尊敬する漫画家いがらしみきおのブログ「いがらしみきおの映画ゾンビ」http://www.bonobono.jp/mag/とか読むと、地方でのホラー映画上映のショッパイ状況が書かれていて、お話にならない程腑抜けた邦画がはびこっているのと同時に、今映画自体あんまり観られなくなって来ているんじゃないか、みたいなことが書かれていて、東京に住んでいると判らないけれど、日本全部で見るとやっぱりそうなのかな?という危惧を抱いたりしてるんですよ。みんな「映画」に何も求めなくなっちゃったのかな、そして映画に何か求めちゃうオレ等の世代がもう古いのかな、なんて思いまして。オレも含め映画好きな方と言うのは映画から高尚な事からクソ詰まらないバカなことまでいろいろ学んできたと思うんだけれど、そういうのが今の若い人にはなくなってしまっているのかなあ。確かに別に映画じゃなくとも今世の中には面白いことが一杯溢れてますからね。それは判らないでもないけど。
そしてホラーに話を戻すと、観られなくなってきた映画の中でもホラーはもっとワリを食っていると言う。でもヌルイ現実をヌルク描いて「みんな良い人達だよね」と言っているような映画を観て安心するのって逆に相当平和な人生生きてんなあ、とか思う。で、新聞のトップ記事がイジメ問題でしょ。イジメだけが不幸か?と思うし実は今イジメぐらいしか不幸は無いのかもしれないねこの日本は。「みんな良い人達だよね」の民主主義がイジメなんて信じられない!と言い、イジメにあって「そんなバカな話が!」と困惑する。単に脆弱なだけなんじゃないか?と思うけれどそんなことを言ったら過剰に反応する人がでてくる。
ホラーに話が戻ってないな。つまり世の中には思いも寄らないサイテーで最悪な事と言うのは存在し、理解も意思疎通も絶対不可能な他者と言うのも存在する。そしてそういうのがいる中でやはり叩き潰されないように生きていかなければならない。この生きていかなければならない=サヴァイバルというのがホラーの感覚なんじゃないかと思う。フィクションの中で恐怖とギリギリの緊張を体験するのは、その裏腹にある生きている事というのが実感できるからだ。「ホステル」が本当に凄い映画だったのは、その緊張の生々しさが半端じゃなかったからだ。そして今そんな感覚を体験できるのは映画の中にしか、それも良質のホラー映画の中にしかないように思う。だからオレはホラー映画を観る。そういうことなんだが。