杉浦日向子さんを偲んで

漫画家であり後年は江戸風俗研究家であった杉浦日向子さんが亡くなられて暫く経ちます。不覚にも遅くなりましたが、ここで追悼の意を表してなにか書きたいと思います。
杉浦さんに惹かれたのは「百物語」という近世を舞台にした怪談連作漫画からです。怪談…とはいっても霊魂や祟りの話ばかりではなく、「奇譚」とでも呼ぶべきような怪しく仄暗い幻想的な短編が多数収録されていました。それは近世のアニミスティックな世界観を見事に表現した作品集でありました。この作品集で印象に残るのは、怪異があったとして、それに対する説明も、それがその後どうなったのかも、まるで判らないままお話が終わってしまう、と云うところです。非現実さのなかに放り込まれたまま読者は奇妙な不安感を残して物語を読み終えるしかないのです。まさに傑作だったと思います。
その後杉浦さんは漫画創作をやめ、江戸風俗研究家としてドラマなどの時代考証や、江戸文化を発掘するエッセイ・書籍を多数出版します。その時の杉浦さんの発言を憶えています。「江戸時代は人生30年と言われていました。30を過ぎた私にとって、後の人生は余禄のようなものです。」江戸の世界に心酔し、江戸文化を今まさに見ているかのように語る彼女にとって、時代考証など余技のようなものだったのでしょうか。しかしこの杉浦さんの「後の人生は余禄」という言葉に人としての魅力を覚えてなりませんでした。オレ自身も、そういう心境で生きたい、と思ったものです。
杉浦さんの江戸文化を描くエッセイは驚きと魅力に満ちていました。それにしても何故江戸なのでしょうか。実は当時の庶民の生活を探ろうとしてもきちんとした文献で残っているのは江戸の町ぐらいなものなのだそうです。ですから江戸文化を広義の日本の文化としてとらえ、日本人の生活や感性のルーツをここに探る、と云うことなのだと思います。
その頃の江戸文化についてここで事細かく書くことはしませんが、当時世界でも最大の都市であった江戸がいかに文化、道徳、衛生においで優れていたのかを知ると驚愕するものがあります。そして、日本人であると言うことはどういうことだったのか、どのように幸福な国に生まれたのかを知ることが出来ます。オレはここでナショナリズムについて喧伝したいのでありません。現在ある日本のナショナリズムは、江戸時代が終焉し、後の明治の開国通商・殖産興業・富国強兵の近代化政策において、欧米列強を参考・仮想敵にした国家と言うものの観念を拡大解釈したものでしかないと思っています。即ち江戸時代で日本の文化は一度途切れてしまうのです。そして、だからこそ、今もう一度江戸を発見しなければならないのです。杉浦さんの著作はそういうことも教えてくれました。
勿論江戸文化が全て優れているとかあの時代に戻ればいいとか言うつもりはありません。しかし本当に優れていたもの、残しておくべきだったものが忘れ去られ、当時の美徳であったものが生かされていない現代の生活を鑑みると、やはり寂しさを憶えずにいられません。そして杉浦さんはその「まだ美しかった日本」に生きる人だったのでしょう。
彼女の著作の中に「江戸アルキ帖」というタイムマシンで彼女自身が江戸の町に赴き、様々な場所を探訪する、というものがあります。彼女自身の架空の紀行文と架空の江戸のスケッチで占められたその著作は、しかし現実にそうであっただろう江戸の町、江戸の世界を目の前に詳らかにします。読者は彼女と一緒になって江戸の町を散策できるのです。思えば、あの著作は「本当の江戸の町をこの目で見たい」という彼女の熱烈な願望そのものだったのだと思います。
鬼籍に入られた杉浦さんではありますが、本当は、彼女はやっと彼女が幻視したあの江戸の世界に帰られたのだ、と思えてなりません。そしてその江戸は、オレの中にもきっと生きているのだと思います。

百物語 (新潮文庫)

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江戸アルキ帖 (新潮文庫)

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