フランス文学探訪:その13/ラシーヌ 『フェードル、アンドロマック』

フェードル、アンドロマック / ジャン・ラシーヌ (著)、 渡辺 守章(訳)

恋の女神ヴェニュスの呪いを受け,義理の息子イポリットに禁断の恋を抱くアテネの女王が,自らの恋を悪と知りながら破滅してゆく姿を描いた「フェードル」。トロイア戦争の後日譚で,片思いの連鎖が情念の地獄となる「アンドロマック」。ともに恋の情念を抗いがたい宿命の力として描くラシーヌの悲劇が名訳によってここに甦る。

『フェードル』『アンドロマック』は17世紀フランスを代表する古典主義悲劇作家、ジャン・バティスト・ラシーヌ(1639-1699)が書いた戯曲である。2作ともギリシャ・ローマ悲劇を題材にしながら、ラシーヌならではの脚色が加えられている。なお文中で記した人名は、本書で用いられているフランス読みの人名と、括弧内に一般に知られている人名とを併記した。

『フェードル』ギリシア悲劇詩人、エウリピデス(紀元前480年頃 - 紀元前406年頃)の『ヒッポリュトス』を題材としている。物語はアテネ王テゼー(テセウス)が遠征中に死亡した事を知った王妃フェードル(パイドラ)が、かねてから胸中に想っていた義理の息子イポリート(ヒッポリュトス)に愛を告白してしまう、という物語だ。ところが王は生きており、フェードルは羞恥心と罪悪感から、イポリットが私に言い寄った、と王に告げてしまうのだ。

義理の息子イポリートに邪恋を抱き、近親相姦の禁を犯そうとするフェードルの黒々とした情念の様が、ひたすらにおぞましい。フェードルはさらにその罪をイポリートになすりつけ、彼を死に追いやろうとするが、それでもまだイポリートの愛を請い求めてしまう。錯乱したフェードルによる錯綜した物語は、濃厚な死の臭いを放ちながら、ずるずると地獄の淵へと落ちてゆくのである。

面白いのはフェードルの来歴である。彼女はクレタ王ミノスとパシファエの娘だ。そしてパシファエはポセイドンがミノスに送った牡牛と交わりミノタウロスを生んだ女である。つまりフェードルは間接的に「怪物」の血脈にある女であり、その彼女が「情念の怪物」と化して登場する全ての者たちを不幸と死の咢へと堕としてゆく、というのがこの物語なのだ。

さらに復讐に燃えた王テゼーはポセイドンに祈りもう一つの「怪物」を召喚する。「怪物」と化した人間と超自然的な「怪物」が同居し禍々しい破壊を繰り広げる、といった部分でも凄惨極まりない物語だった。

『アンドロマック』はローマ詩人ウェルギリウス(紀元前70年頃 - 紀元前19年頃)の『アエネーイス』、エウリピデスの『アンドロマケー』を元に書かれた戯曲である。そしてこれはトロイア戦争を舞台にした物語なのだ。

トロイア陥落のその後、戦死したトロイアの勇将ヘクトールの妻アンドロマック(アンドロマケー)は、ヘクトールを殺したアシール(アキレウス)の息子ピリュス(ネオプトレモス)の女奴隷となっていた。ピリュスはアンドロマックに妻になれと迫るが、アンドロマックはこれを頑なに拒み続ける。一方ピリュスには婚約者エルミオーヌ(ヘルミオネー)がおり、かつての敵であった女奴隷に執心するピリュスが許せない。さらにギリシャ軍総大将アガメムノンの息子オレスト(オレステース)は、そんなエルミオーヌに恋の炎を燃やしていた。

まずそもそもの設定が陰鬱だ。物語はトロイアを滅ぼしたギリシャ軍の戦後処理を描くものだ。トロイア戦争を描く叙事詩では陥落したトロイアの男たちは全て虐殺され、全ての女たちは奴隷にされたのだという。アンドロマックもその一人だ。そして彼女は夫を殺した男の息子に言い寄られる。さらにこの愛を受け入れねば亡き夫のただ一人の遺児アスティアナクスを殺害すると脅迫されているのだ。この物語は戦争の悲惨のみならず、生き残った者の過酷な運命をも描いているのだ。

そして物語はアンドロマック/ピリュス/エルミオーヌ/オレストという登場人物たちの、それぞれに一方通行の「片思いの連鎖」が主題となっている。物語では誰一人の愛も交差しない。それぞれに心を揺り動かせながらも、最後には相手を完膚なきまでに裏切ってゆく。これもまた悲劇と呼ぶにはあまりにも凄惨な「愛の地獄」を描いた物語だ。とはいえ、トロイア戦争そのものではなく、あくまでも「愛」を取り巻く状況を描き切ろうとする部分に、フランス文学らしさを感じてしまった。それがどれだけ苛烈で悲惨なものでも、それでもこれはやはり「愛」についての物語なのである。

というわけで『フェードル』、『アンドロマック』ともに凄まじい作品だった。最近幾つか読んだフランス文学の中でも最高に面白かったが、同時にギリシャ・ローマ悲劇への興味すら掻き立てられた。うーんフランス文学だいたい読んだらこっちも行ってみようかなあ。