■Gangster (監督:アヌラーグ・バス 2006年インド映画)
2006年公開のインド映画『Gangster』はギャングの情婦と三角関係になってしまった男を描くサスペンス・スリラーだ。副題に『A Love Story』とつけられており、愛の狭間で狂おしく揺れる男女の情念とその残酷な運命とを描いてゆく。この作品は『Queen』が大ヒットしたカンガナー・ラーナーウトのデビュー作でもある。また、この作品は殆どが韓国でロケされており、一味もふた味も違うインド映画となっている。
《物語』銃弾に撃たれ病院に緊急搬送された二人の男女。二人には何があったのか。アーカーシュ(イムラーン・ハーシュミー)は韓国にあるバーで歌うシンガーだった。彼はバーで謎めいた美女シムラン(カンガナー・ラーナーウト)と出会い、恋に落ちる。しかし、愛し合うようになってからも、自らの素性を語りたがらず、何かを忘れようと酒に溺れるシムランをカーシュはいぶかしく思っていた。そんなシムランに電話が掛かってくる。「一週間に一度しか電話をくれないなんてどういうことよ!」涙ながらに相手をなじるシムラン。その電話の相手は、シムランの愛人であり、指名手配犯でもあるギャングのダヤー(シャイニー・アーフージャー)だった。
映画『Gangster』は全編に渡って強烈な情念がほとばしる物語だ。そしてその情念はどこまでも暗く湿った悲しみに満ちている。ギャングの情婦を愛してしまったアーカーシュ、シムランへの愛を貫くため組織を抜けようとあがくダヤー、そんな二人の愛に板挟みになり引き裂かれてゆくシムラン。それぞれの愛の地獄に落とされた3人のその情念が、画面を蒼白く燃え上がらせる。作品内に横溢する感情表現の激烈さ、シンガー、アル中、愛の破綻と絶望といったキーワードから、最近日本でも公開されたインド映画『愛するがゆえに(Aashiqui2)』を個人的に思い出させたが、『Gangster』ではさらにクライム・サスペンスならではの暴力と殺戮が展開し、その闇の深さはいやおうなしに物語を悲劇へと駆り立ててゆく。
映画のロケーションは韓国なのだが、最初気付かなくて「インドにしては随分淡白な街並み…というか日本ぽくない?」と思って観ていたら、看板がハングル文字だったので「ここは韓国だったのか!」と驚いてしまった。まあ映画の最初で説明されてたのを普通に見落としてたのかもしれん…。そしてこの映画は韓国を舞台としている部分で、一時流行った無国籍なインド映画といった画面構成を持つ。オレなんかは「無国籍なインド映画」を観ると「インド映画じゃなくてええやん…」と思ってしまうし、実の所物語自体には韓国である必然性はない。ないのだが、物語自体はロケーションそのままに韓国映画を思わせるウェットで苛烈な感情の奔流によって覆われ、このロケーションは大正解だったかもしれない。
しかも、この物語はそれだけでは終わらないのだ。ギャングの情婦と三角関係になった男の悲恋物語…と思わせて、物語は後半思いもよらぬ衝撃の展開を迎えるのだ。これには正直驚かされた。単なる三角関係メロドラマなら「勝手にしろよ…」と思ってしまうオレではあるが、ことの真相が明らかになった時、その衝撃に「これは一級のサスペンスじゃないか」と確信させられた。そしてその残酷さ、悲痛さはクライマックスにおいて極限まで引き絞られ、凄まじいまでの絶望の色で画面を染め上げるのだ。その巨大な感情のうねりの様には圧倒させられた。こうしてその緊張は哀切に満ちたラストへと放たれてゆくのである。この作品がデビュー作となるカンガナー・ラーナーウトは実に堂々とした演技を見せ、その表情のキツさも物語に十分マッチし、後にヒット作女優となる片鱗をうかがわせていた。