豚モツの串焼きを”焼き鳥”と呼ぶのはなぜ?/『焼き鳥の戦前史〈東京ワンニラ史 中編〉』を読んだ

焼鳥の戦前史 第二版 / 近代食文化研究会 (著)

焼鳥の戦前史 第二版

 

なぜ女たちは「豚の子宮の焼鳥」を食べたのか?意外な事実だらけの焼鳥の歴史! (日本初のクリスマスチキン/クリスマスケーキの歴史解説も付録)

「豚の臓物の串焼き(いわゆる”ヤキトン”)を”焼き鳥”って呼ぶのはなぜ?」そう思ったことのある方も多いんじゃないだろか。この『焼き鳥の戦前史』はそういったことを含めた”焼き鳥”史、さらに戦前戦後の大衆食文化史を探ってゆく著作である。

最初に書いた疑問を解題すると、大正時代から串で刺した鶏の焼き鳥は存在していたがそれは正肉ではなく鶏の内臓肉を使っていた。しかし下処理が相当面倒なのと臓物としては高価だった(戦前は鶏肉は高級品であり、鶏>牛>豚の順で価格が高かった)ということから牛豚の臓物を”焼き鳥”と偽ったものが流通し、逆にこれが”栄養価が高い”として大衆に大いに受け入れられ「(豚の臓物だけど)焼き鳥」という認識が一般化してしまった。

その後政府から表示偽装を指摘され、さらに戦後ブロイラー産業の発達により鶏肉が安く大量に流通しだしたことから鶏の正肉を使った焼き鳥が出回り現在これが一般化したが、「(豚の臓物だけど)焼き鳥」という認識の名残はずっと残ることになり、それで今でも「焼き鳥(だけどヤキトン)」というややこしい呼び名となっているということなのらしい。

また戦前において動物の臓物を食するのは下賤なこととされ、鶏にしろ豚にしろその臓物を焼いたものを食べるのは日雇人夫や下層階級の人間だった、という記述も面白い。この”下賤な食べ物”が徐々に一般人に受け入れられていったのは戦後の食糧難も関係していたという。また、焼き鳥が串で刺してあるのはもともと屋台食だったからであり「片手に酒コップ、片手に焼き鳥串」という簡便さがこの形態を生んだようだ。

こういった形で人気のあった臓物肉=ホルモンだったので、「放るもん(捨てるような臓物肉)=ホルモン」という説は誤りである、といったことも書かれている。これに限らず焼き鳥を中心とした戦前戦後の大衆食文化の様子が膨大な資料や引用を元に書かれており、読めば読むほど面白い本だった。そして読み終わると焼き鳥(もちろん”トン”のほう)が無性に食べたくなる!