19世紀フランス冤罪事件を描く歴史サスペンス映画『オフィサー・アンド・スパイ』

オフィサー・アンド・スパイ (監督:ロマン・ポランスキー 2019年フランス・イタリア映画)

19世紀フランス、スパイ疑惑終身刑となった陸軍少尉ドレフュスは実は無実だった。この事実を巡り一人の陸軍中佐が軍上層部に戦いを挑むという史実を基にした物語、それが映画『オフィサー・アンド・スパイ』です。監督は『戦場のピアニスト』など多くの話題作を撮り続けるロマン・ポランスキー。主演に『アーティスト』のジャン・デュジャルダン、『グッバイ・ゴダール!』のルイ・ガレル。原作はロバート・ハリスの同名小説。映画は2019年・第76回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞しています。

1894年、フランス。ユダヤ人の陸軍大尉ドレフュスが、ドイツに軍事機密を流したスパイ容疑で終身刑を宣告される。ところが対敵情報活動を率いるピカール中佐は、ドレフュスの無実を示す衝撃的な証拠を発見。彼の無実を晴らすため、スキャンダルを恐れ、証拠の捏造や、文書の改竄などあらゆる手で隠蔽をもくろむ国家権力に抗いながら、真実と正義を追い求める姿を描く。

映画『オフィサー・アンド・スパイ』公式サイト

ロマン・ポランスキー、好きな監督なんですよ。60年代の『吸血鬼』『ローズマリーの赤ちゃん』、70年代の『チャイナタウン』『フランティック』、00年代に入ってからの『ゴーストライター』『おとなのけんか』、どれもグサッと胸に残る作品でした。ポランスキーの作品はどれも不穏さと疑心暗鬼に満ちており、どこに連れていかれるのか分からない不安が常に横溢している部分に心が揺さぶられてしまうんですよ。私生活においても『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でも取り上げられたシャロン・テート事件、少女淫行による有罪判決など、どこか暗い十字架を背負ったような監督なんですね。

19世紀フランスを騒然とさせた「ドレフュス事件」は、証拠不十分にも関わらず終身刑を言い渡された陸軍大尉ドレフュスを巡る冤罪事件なんですね。自分も最近フランス史を調べることがあったものですから、この事件については少々知っていました。この事件が当時のフランスの土台を揺るがすほどの事件となったのは、ユダヤ人であったドレフュスに対する強烈なユダヤ人差別があったこと、その背後に当時のカトリック教会の反ユダヤ主義があったこと、再審を巡る捜査をする過程で軍上層部による大掛かりな隠蔽工作が成されたことが挙げられます。つまり民衆と教会と国家組織の全てに渡って差別意識と腐敗が広がっていたことがあからさまになってしまった事件だったのです。

しかし「ドレフュス事件」について全く知らなくとも、この映画は一級のサスペンス・スリラー作品として十分に楽しめる作品として完成しています。物語は主人公である新参の諜報部中佐ピカールの目を通して描かれてゆきます。あるスパイ捜査の過程で収監中のドレフュスが無実だったのではないかと気付いたピカールは再審を求める証拠集めの過程で、軍による証拠隠滅や捏造が成されていたことをつきとめます。しかし彼は冤罪スキャンダルを恐れる軍上層部から様々な圧力をかけられ、遂に自らも投獄されしまいます。とはいえ、ピカールは多くの協力者を得て再審へと乗り出すのです。

ここには「正義と真実」を巡る普遍的なドラマが存在します。数々の困難に見舞われながらドレフュスの無罪を訴え続けるピカールの姿は実に感動的です。特に後半からの裁判シーンは、軍上層部の欺瞞と傲慢とが次々に露わにされ、それに対し毅然と対抗してゆくピカールに胸を熱くさせられることでしょう。とはいえ、これが現代アメリカの裁判劇であるなら快刀乱麻な展開もあるのでしょうが、19世紀フランスという時代性において、一筋縄ではいかない困難も生じてしまうのです。

史実を基にしたドラマであることから、その結末は歴史通りであり、既に分かっていることではあります。しかしそれにしてもこの作品を観終わった後に、そういったものとはまた違った、滓のようにもやもやしたものが残ります。どこか「正義と真実」が成されることでメデタシメデタシではない、厭な後味、索漠とした不安感がこの作品の結末にはあるんですよ。これは端的に、ポランスキー監督の持ち味なのだと思っていいでしょう。

そこには、「正義と真実」を謳いながらも、それは必ずなされるものではなく、移ろいやすく不確定なものであることが暗にほのめかされている様な気がします。真正さのみに依拠しえない不安定さ、虚無感、そういったものを孕む現実というものの不条理、『オフィサー・アンド・スパイ』にはそんな薄ぼんやりとした暗さもまた、存在しているんです。ちなみにこれは余談ですが、ドレフュス大尉が送り込まれた監獄島「悪魔島」って、映画『パピヨン』で主人公が送り込まれた場所でもあるんですよね。