ロマン・ポランスキーのデビュー作『水の中のナイフ』を観た。

水の中のナイフ (監督:ロマン・ポランスキー 1962年ポーランド映画

ロマン・ポランスキーは好きな監督だ。ポランスキー作品はどれも不穏さと疑心暗鬼に満ちており、どこに連れていかれるのか分からない不気味さが常に横溢し、そこに心が揺さぶられてしまう。同時にポランスキー作品にはどれも「異邦人/よそ者の不安」が加味される。自分がいるべきではない場所にいて否応なく事件に巻き込まれてしまう。この所在の無さ、為す術の無い恐怖、これがポランスキーの持ち味なのだと思う。

1962年に公開された『水の中のナイフ』はロマン・ポランスキーの初監督作品となる。物語はある裕福な夫婦、アンジェイとクリスティナがヒッチハイクの青年を拾い、一緒にヨットセイリングに出掛けるところから始まる。もとより横柄な性格のアンジェイは青年に見下した態度を取り、青年と妻が親しくするのを見て青年を邪険に扱い始める。そしてある事件が起こるのだ。物語は心理サスペンスの形をとっており、事件それ自体は殺人や強烈な暴力を描くものではないにせよ、常に何が起こるのか分からない不安定で不穏な緊張感が全編を支配している。

この不穏さは冒頭数10秒の夫婦が車に乗っているだけのショットから既に露わにされる。車に乗っている二人の顔が真っ黒な影に覆われて見えない。ただそれだけのことなのだが、これが実に不気味なのだ。このどこか「厭な感じ」が延々と物語を塗り尽くしてゆくのだ。ここだけをとってもポランスキーがいかに優れた才能を持つ監督であり、それをデビュー作から発露させていたのかを伺い知ることができる。

物語は登場する3人の人物の誰からも距離を置いてそのキャラクターを描くことになる。アンジェイは横柄な男だが同時に強い率先性を持ち、社会では有能な男なのだろう。一方青年は率直ではあるが精神的に脆弱であり、思考が行動に伴わない。そしてクリスティナは優しく従順な妻だが、夫の強権的な態度に不満を持ち、時として気まぐれな行動に出てしまう。誰が正しいとか間違っているということでもない。ただ世の中にいる多くの人と同じような、決して完璧ではない人物が登場するだけなのだ。こうして物語は誰の心情に加担することなく、あくまで突き放したような視線で描かれてゆくのだ。

物語を単純化するなら、これは経済的格差を発端とした物語であり、充実した壮年の男とまだまだ社会を知らない若者との心理的乖離の物語だという事もできる。しかしもちろんそれは物語の本質ではない。そういった噛み合わない者同士が船上という閉鎖空間の中でさらにその溝を深めてゆくということ、お互いを決して理解し合おうとしないこと、その分断と不信を徹底的に描き尽くすこと、こういった悪意にも似た描写とそれが生み出す恐るべき緊張がこの物語の本質なのだ。こうして見るとポランスキーは本当に厭らしい監督だ。そしてこの厭らしさが、ポランスキー作品から目を離せない部分でもあるのだ。