アフロフューチャリズムな音楽映画『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』

サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス(監督:ジョン・コニー 1974年アメリカ映画)

サン・ラーというミュージシャンの名前はなんとなく聞いたことがあったが、音楽自体には触れたことはない。なんか怪しすぎて。しかし遠巻きに眺めていても恐ろしくディープで唯我独尊的な音楽をやっていた人だというのは理解できた。なんかすんごいコスチュームなんだもん。

サン・ラーの音楽はサイケデリック・フリージャズなんて言い方がされている。それは「ジャズという垣根を超えて、アフリカもゴスペルもファンクも、スペース・エイジにニュー・ウェイヴやミニマル・ミュージック電子音楽すら飲み込んで、しかもそのどれでもない音楽*1」という闇鍋的なものであったらしい。そのサン・ラーが脚本、音楽、主演を務めた映画『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』は、「土星からやってきた超越者」サン・ラーが、地球で苦しめられているブラザーたちを救い出し、楽園惑星へ誘おうとするSF作品である。

《STORY》地球から姿を消した大宇宙議会・銀河間領域の大使サン・ラーは、音楽を燃料に大宇宙を航行していた。ついに地球と異なる理想の惑星を発見し、地球に戻ったサン・ラーはジャズのソウル・パワーによる同位体瞬間移動を用いて、アメリカにいる黒人のブラザーたちの移送を計画する。しかし、その技術を盗もうとするNASAアメリカ航空宇宙局)の魔の手が迫っていた。

サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス : 作品情報 - 映画.com

正直、映画の出来自体は自主製作レベルだが、サン・ラーその人の持つ独特な思想がぶっとく一本筋を通しているがために、実にカルトかつキッチュな作品として楽しめるのだ。その独特な思想とは、「黒人たちの宇宙へのエクソダス」というテーマにも表れる、アフロフューチャリズム*2である。

単純に言ってしまうならそれは黒人たちの苦闘の歴史の中で約束の地となるべき場所は過去にも現在にもなく、未来と星々の輝く宇宙にあるというムーブメントだ。アフロフューチャリズムと交差するミュージシャンはサン・ラーに止まらず、アース・ウィンド&ファイヤー、ジョージ・クリントンといったファンク/ソウル勢のみならず、デトロイト・テクノドラムン・ベースなどの音楽ジャンルもそれに該当するのだ。さらに広げるなら、ルーツ・レゲエ・ミュージシャンが歌い上げるアフリカ回帰を目指すラスタファリ運動もアフロフューチャリズムの別バージョンと言えるのではないか。

それは「宇宙」あるいは「未来」という「ここではないどこか」にのみ約束の地が存在するという確信犯的な現実否定であり逃避願望だ。それはこの世界と現実への全き絶望であり、既存の神や宗教への絶望でもある。そのギリギリの絶望の中で夢見る宇宙の幻想、救済の待つ千年王国、それらを音楽で表現したのがサン・ラーをはじめとしたアフロフューチャリズム的黒人アーチストたちなのだ。だからこそ彼らの音楽はうねるようなエモーションで聴く者の心をとらえて離さないのである。『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』は、ブラック・ミュージックのそういった側面を垣間見せてくれる映画なのだ。

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  • サン・ラー、レイ・ジョンソン、クリストファー・ブルックス、バーバラ・デロニー
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