インド映画の魅力がぎっしり詰まった奇跡の玉手箱『プレーム兄貴、王になる』

■プレーム兄貴、王になる (監督:スーラジ・バルジャーティヤ 2015年インド映画)

f:id:globalhead:20200224144225j:plain

(この記事は2016年2月16日に更新した「インド貴族の屋敷を舞台にしたボディダブル・ストーリー〜映画『Prem Ratan Dhan Payo』」を作品の日本公開に合わせ一部内容を変更してお送りします) 

■貧乏役者が王子の替え玉に!?

煌びやかな王族の宮殿を舞台に、ある理由から貧乏役者が王子の替え玉に!?というドラマを描いたインド映画『プレーム兄貴、王になる』です。2015年暮れに公開され、『バジュランギおじさんと、小さな迷子』に次ぐ年間第2位の大ヒットを記録したと共に、数々の賞にも輝いた作品なんですね。

主演は『ダバング 大胆不敵』『バジュランギおじさんと、小さな迷子』のサルマーン・カーン、『パッドマン 5億人の女性を救った男』『SANJU/サンジュ』のソーナム・カプール。監督のスーラジ・バルジャーティヤはこれまで『Maine Pyar Kiya』『Hum Aapke Hain Koun..!』『Hum Saath Saath Hain』といった映画でサルマーンと組んでおり、この『プレーム兄貴、王になる』は4作目のコラボレーションとなります。物語の原案となったのはイギリスの名作古典小説「ゼンダ城の虜」。

《物語》王である父を亡くしていたプリータムプル王国の王子ヴィジャイ(サルマン・カーン)は戴冠式が近付き、フィアンセのマイティリー王女(ソーナム・カプール)とも会うことになっていたが、その心は重かった。異母弟妹であるアジャイ(ニール・ニティン・ムケーシュ)とチャンドリカ(スワラー・バースカル)との間に王族ならではの暗い確執を抱えていたのだ。

そして異母弟であるアジャイは義弟のチラグにそそのかれ遂にアジャイの暗殺計画を実行する。アジャイは命こそ助かったが意識不明となり、大臣であるジワン(アヌパム・ケール)は秘密裏にアジャイを古城で看護するが、戴冠式は4日後に迫っていた。

一方気のいい舞台俳優のプレーム(サルマン・カーン2役)は憧れのマイティリー王女を一目見たくてプリータムプルに訪れていた。そんなプレームをたまたま見かけた王室警護長官のサンジェイは驚きに大きく目を見開く。なんとプレームは王子と瓜二つだったのだ。サンジェイとジワンはプレームを説得し、王子の替え玉として戴冠式に挑ませようとする。

f:id:globalhead:20200225140101j:plain

■安心して観られるオールドスクールなインド大衆娯楽映画

贅を尽くした絢爛豪華なインドの宮殿、そこに暮らす煌びやかな衣装のインド王族たち、そこで巻き起こる家族同士の確執。映画『プレーム兄貴、王になる』はこんな、古いインド映画によく見られたトラディショナルな家族ドラマが再演されます。そして「そっくりさん登場!」といったボディダブルネタは、インド映画では結構ポピュラーなモチーフであったりします。さらに最近のインド映画では珍しいぐらい歌と踊りがこれでもか!とばかりに大盤振る舞いされ、画面はどこまでもカラフルで明るくて、その楽しさ美しさからは「これぞインド映画!」と思わされることでしょう。

こういった部分から、アップトゥデイトな斬新さよりも、安心して観られるオールドスクールな大衆娯楽作品を目指した作品なのだろうなと思わせます。さらに主演がインド映画界屈指の大ヒット・メーカーであるサルマーン・カーンでヒロインがソーナム・カプール。こういったコンサバティブな要素で構成された物語であるからこそインドで実際に大ヒットしたのも頷けるし、実際に相当に面白くて楽しめる作品であることは間違いありません。しかし物語を見守っているとそれだけではない作品であることも段々と気付かされてくるんです。

f:id:globalhead:20200224154822j:plain

■失われた「中心」を巡って奮闘する「外縁」の男

まずこの物語では「王=家父長」という「中心」が既に失われていて、それで「王国」が「空洞」になっているんです。「空洞」だから王国内はあれやこれやと乱れ、家族の様々な問題が一気に噴出してしまう。そこに後継ぎである王子=次の「中心」がまたしてもロストする。そんな中で残された者たちがどうしよう……と担ぎ出したのは外から担ぎ出された「替え玉=ハリボテ」ですが、その「ハリボテ」は「中心」の役割なんか実はしゃらくさくて、同時に「ここは空洞だ!」ということを看過してしまう。このとき「ハリボテ」は、「外縁」の、あくまで気のいい一人のあんちゃんの優しさから、混乱を取りまとめようとする。「ハリボテ=プレーム」はいわゆトリックスターなんですね。

その「ハリボテ=外縁=プレーム」の働きかけによってみんな目が覚めてもう一度自分たちはまとまろう、というのがこの物語なのだと思う。なんでもいいから新しい「中心」をこさえて現状維持しちゃえ、という話ではないんですね。要するにトラデショナルな物語に見えながら「家父長」という「中心」が失われたことによりこれまで構成されていた「ヒエラルキー」が破綻してしまった、それによりバラバラになった者たちがもう一度手探りで繋がり合って「未来」のことを考えよう、という事なんですね。なにが言いたいのかというと、『プレーム兄貴』はこれまで「家父長」が絶対だったインド映画で、「家父長」の存在しない家族がどうやってもう一度まとまりあうのか、という新しい視点を持った作品だとも思うんですよ。

20160219134502

■あまりに切ないプレームとマイティリー王女とのロマンス

もちろん『プレーム兄貴』は大衆的な娯楽作品としての側面も十分優れています。ロケーションと衣装、歌と踊りも十二分に美しく、目を楽しませてくれます。主演のサルマーン・カーンは『バジュランギおじさんと、小さな迷子』で見せてくれた「気のいい兄ちゃん」と落ち着いた風情の王子様の二役を演じ、優れた演技とキャラクターを見せてくれているのではないでしょうか。そしてなにより、ヒロインのソーナム・カプールがあまりに美しい!もうソーナム様の出ているシーンは画面に目が釘付けでした!

f:id:globalhead:20200224165831j:plain

見よ!ソーナム様のこの美しさを!(画像は映画のものではありません)

しかしそれだけではなく、登場時の心の翳りを感じさせる演技としての精彩の無さを、主人公プレームとの愛によって次第に表情豊かで感情に溢れたキャラクターに変化してゆく様に絶妙なものを感じました。そしてサルマーンとアヌパム・ケールの掛け合いがこれまた心憎いほどに楽しく、物語をより温かく豊かなものにしています。また、思いやりに満ちた物語のクライマックスをアクションでしっかり締めていてメリハリも抜群でした。

そしてなによりこの物語を盛り上げるのは、プレームとマイティリー王女とのロマンスの行方でしょう。最初結婚に乗り気ではなかったマイティリー王女はプレームの真心に触れることで彼への想いを強くします。しかしそれは王子ヴィジャイに成りすましたプレームなのです。一方プレームもマイティリー王女を愛しながら、自分が替え玉であるという明かすことのできない嘘をついていることに苦悶します。この映画はこうして「嘘に嘘を塗り固めたことの顛末」というインド映画らしい展開を迎え、胸締め付けられる鮮やかなクライマックスへとひた走ってゆくのです。

「替え玉作戦」を巡るドタバタと笑い、家族の物語にまつわる苦しさと優しさ、陰謀を巡らす悪漢と主人公との手を握るアクション、目も彩な衣装と舞台、どこまでも楽しい歌と踊り、そしてあまりに切ないロマンス。映画『プレーム兄貴、王になる』は娯楽映画に必要なありとあらゆる要素がぎっしりと詰まった玉手箱の様な作品です。是非皆さんもご覧になってください、そして、インド映画の醸し出す芳醇な世界をとことん堪能してください!


痛快アニキが歌って踊る!サルマン・カーン主演/インド映画『プレーム兄貴、王になる』予告編


「プレーム兄貴、王になる」戴冠式ダンスシーン