マーズ・エクスプレス (監督:ジェレミー・ペラン 2023年フランス映画)

フランス産サイバー・ノワールSFアニメ『マーズ・エクスプレス』
『マーズ・エクスプレス』は、フランス製作による23世紀の火星を舞台にしたサイバー・ノワールSFアニメーションだ。人間とロボットが共存する未来の火星社会で起こった犯罪捜査をリアリティあふれる世界観で描ききった本作は、観る者を強く引き込む。
【STORY】西暦2200年。火星の首都ノクティスを拠点とする私立探偵のアリーヌ・ルビーは、アンドロイドの相棒カルロス・リヴェラとともに、名門大学の学生失踪事件の捜索に乗り出す。調査を進める中で、腐敗した都市の裏側、巨大企業の陰謀、そしてロボットの「脱獄(ジェイルブレイク)」をめぐる社会の暗部が次々と明らかになる。人間と機械の境界が揺らぐ中、二人は人類の未来を左右する秘密に迫っていく。

監督はフランスで活躍するジェレミー・ペラン。本作が長編監督デビュー作となる新鋭のアニメーターだ。2016年にフランスの人気バンド・デシネ(漫画)を基にしたTVシリーズ『ラストマン』を脚本・監督し、高い評価を得た。押井守の『攻殻機動隊』や大友克洋の『AKIRA』、今敏の『パプリカ』など、日本のSFアニメから強い影響を受け、それを独自の視点で昇華させている。シンプルながら洗練された線とリアリスティックな表現が特徴で、本作ではサイバーSFとネオノワールの融合を見事に実現した。
本作は完全オリジナルストーリーであり、特定の漫画や小説の原作はない。タイトルは20年以上にわたり火星探査を続けている実在の欧州宇宙機関の探査機「マーズ・エクスプレス」に由来し、最新の宇宙研究や科学データを基に構築された世界観が魅力だ。監督のペラン自身が脚本を共同執筆(ローラン・サルファティと)しており、フランス映画では珍しいSFと探偵映画のクロスオーバーを追求した意欲作となっている。

細部まで描き込まれた未来世界のリアリティ
最大の見どころは、未来社会の細部まで描き込まれたリアリティにある。火星のドーム都市、地球と火星間の移動、自律走行車、分子レベルの薬物、脳のレンタル、テレパシー的なVR通信など、すべてが現在の科学トレンドを延長した形で自然に存在する。説明過多にならず、物語が進むにつれて「ああ、この世界はこうなっているのか」と腑に落ちるプロットが秀逸だ。アクションシーンもスリリングで、宇宙船内の追跡やカーチェイスは緊張感が半端ない。
作品はフィリップ・K・ディック、アイザック・アシモフ、ウィリアム・ギブスンの古典SFから強い影響を受けている。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(『ブレードランナー』原作)における人間とアンドロイドの境界、自我の曖昧さ。アイザック・アシモフの「ロボット工学三原則」における、ロボットの絶対服従とそこからの「ジェイルブレイク」。ウィリアム・ギブスン作品におけるハイテク・近未来の企業支配、脳のレンタル、情報と肉体の融合。これら3者の思想が『攻殻機動隊』などのアニメを経て再解釈され、フランスのノワールに融合した結果、本作は見事なサイバー・ノワールSFとして完成しているのだ。
AIやロボット、惑星移住の描写が現実味を帯びており、細部まで徹底的に作り込まれている点も圧倒的だ。最初は世界観やテクノロジーの説明がほとんどなく戸惑うが、それが徐々に明らかになるシナリオが秀逸で、観客を自然に引き込む巧みさがある。武骨で不愛想、そしてアル中の女性主人公アリーヌ、故人の思考を収納し、深い内省を持つ相棒ロボット・カルロスといったキャラクターも個性が際立ち、観るほどに愛着がわいてくる。

『攻殻機動隊』との深い関連性
本作を観ていて強く感じたのは、『攻殻機動隊』との深い関連性だ。押井守監督の1995年の映画版『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』は、サイバーパンクの金字塔として、人間と機械の境界、自我の存在、情報社会のディストピアを描き、世界中のクリエイターに多大な影響を与えた。士郎正宗の原作漫画が1989年から連載開始されてから約35年、本作公開の2023年時点でその思想は成熟期を迎えている。ペラン監督は押井作品、特に『攻殻機動隊』の影響を認め、シンプルな線で心理を表現する美学や、機械と人間の共存をめぐる哲学を継承している。
しかし『マーズ・エクスプレス』はさらに先進的だ。『攻殻機動隊』が主に地球上のサイバースペースと義体を扱ったのに対し、本作は惑星間移住と火星社会を舞台にスケールアップさせている。ロボットの「サイバー法」による絶対服従とその脱獄、脳ファームのような生体利用、企業の独占など、より現実的な格差社会とAI倫理の問題を直視する。『攻殻』が個人のアイデンティティを探求したのに対し、本作は社会全体の構造的変革と、機械が主体的に「自由」を求める姿を描き、ポストヒューマン時代の次の段階を示唆する。押井守の系譜を受け継ぎつつ、フランス独自のバンド・デシネ風のクールさと最新科学のリアリズムを融合させた点で、間違いなく先進的な一作だ。
