冷戦下にある男女の数奇な愛の遍歴/映画『COLD WAR あの歌、二つの心』

■COLD WAR あの歌、二つの心 (監督:パヴェウ・パヴリコフスキ 2018年ポーランド・イギリス・フランス映画)

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映画『COLD WAR あの歌、二つの心』は冷戦下のヨーロッパを舞台に、二人の男女の数奇な愛の遍歴を描いたドラマだ。 監督はポーランドで活躍するパヴェウ・パヴリコフスキ。オレは以前彼の作品『イーダ』を観て大変感銘を受け、今作も観てみることにした。こちらの『COLD WAR』も『イーダ』と同じモノクロ・スタンダードサイズの画面設計が成されている。

《物語》

冷戦に揺れるポーランドで、歌手を夢見るズーラとピアニストのヴィクトルは音楽舞踊団の養成所で出会い、恋におちる。だが、ヴィクトルは政府に監視されるようになり、パリに亡命する。ズーラは公演で訪れた先でヴィクトルと再会、幾度かのすれ違いを経て共に暮らし始める。しかし、ある日突然ズーラはポーランドへ帰ってしまう。あとを追うヴィクトルに、思いもかけぬ運命が待ち受けていた。

公式サイトより)

主人公であるヴィクトルとズーラはそれぞれが異なる背景と異なる気質を持った間柄だ。ヴィクトルはアカデミックな知識人で沈着冷静な男。一方ズーラは庶民出の自由気ままで気分の浮き沈みの激しい女。コインの裏表のような二人だからこそ惹かれあうのだが、相反する性格故に対立すると途端に深い溝が生まれてしまう。物語はこんな二人が、ポーランド、ベルリン、ユーゴスラビア、パリと経巡りながら、何度も何度も和合し離反する様を描いてゆく。和合と離反。要するに延々くっついたり離れたりを繰り返すのである。この「くっついたり離れたりを繰り返す男女」の着想は、監督自身の両親から得られたものなのだそうだ。

という物語なのだが、オレはなんだか神妙な顔をしながら観てしまった。まず「くっついたり離れたりを繰り返す」というのがオレにはあんまりよく分らない。まあそれだけ気性が激しく情熱的であるということなのだろうし、世にはそういった男女もいることは知らない訳ではないのだが、この「諦め所の見つけられないしつこさと執着心」というのがオレのメンタルにはどうにも受け入れがたく、理解できないのだ。多少の確執があっても踏ん張って適切な落としどころを見つけようとするか、それでもどうしてもダメならさっさと未来に目を向けるか、どちらかじゃないかと思ってしまうような人間なのだ。執着心が薄いのではなく、執着し続けることでより傷つくのが怖いからなのだろう。

主人公の二人の繰り返される和合と離散の背景には、確かに冷戦の影響があるにはあるだろう。知識人のヴィクトルには全体主義国家の不自由さは耐え難いものだったのだろうが、庶民からたたき上げて社会的地位を得たズーラにとってはなぜそれを手放さなければならないのか理解できなかったのだろう。二人の愛には「魂の兄弟の如く分かち難く太陽の様に熱く暖かい結びつき」があったのと同時に「お互いが何を考えてるのかよく分からない水と油の様な相反する性格」の二つが同居していたのだろう。

しかしどれだけ愛し合っていようと男と女というのはもともと赤の他人であり、理解できない部分は歩み寄るか、それも無理なのならその部分を尊敬の形で譲歩するしかないのではないかと個人的に思う。まあこれは単なるフィクションなので、そんなフィクションの二人に物申しても始まらないのだが、なんだかもどかしい気持ちになりながら観てしまうことにはなった。「どうしても至らない感情を持ってしまうのが人間さ」と言ってしまえばそれまでなのだが、それによりここまで人生を困難でヤヤコシイものにしてしまう二人を見るにつけ、「もっとどうにかできなかったのかよ」とじれったく思わされたのだ。

とはいえ、モノクロ映像に特化した撮影も、それに伴う映像の美しさも、東欧の民族性をクローズアップした美術も、民族的であったり現代的なジャズであったりする音楽も、それぞれに意匠を凝らしてあり堪能できた。「冷戦」に代表される国家的政治的軋轢の在り方は、描かれはすれそれほど熾烈なものの様に感じなかった部分で食い足りなさを覚えた。なんとなれば主人公二人の「冷戦」の軋轢のほうが、政治的軋轢よりも熾烈だったように思えた。


映画『COLD WAR あの歌、2つの心』本予告

イーダ Blu-ray