入れ子構造になったユニークなポーランド発カルト面白怪奇譚〜映画『サラゴサの写本』

I.

ナポレオン戦争が続くスペインのサラゴサ。熾烈な戦闘の最中、一人のフランス軍将校が宿屋に逃げ込むが、そこで発見した挿絵入りの大判本に戦闘も忘れて大いに魅入られてしまう。そこへなだれ込む敵のスペイン軍。しかしその中にいたスペイン軍将校は、フランス軍将校を捕縛する代わりに、彼の魅入る書物を翻訳して聞かせ始める。そしてここから物語られるのは、スペイン貴族、盗賊、キリスト司祭、ムーア人王女姉妹、カバラ修験者、ジプシー放浪者、スペイン異端審問官が現れては消えてゆき、それぞれが運命の綾糸で不思議に結び合わさった、怪奇と幻想、滑稽と諧謔の、夢幻の如き逸話の数々だったのである。

1965年製作のポーランド映画、モノクロ作品、183分。監督も俳優の名前もまるで知らず、ポーランド映画に興味があるわけでもなく、おまけに3時間超のモノクロ映画であるこの作品を、なぜ観てみようと思ったかというと、ひとえにその粗筋からうかがわれる、近世ヨーロッパを舞台にした幻想怪奇物語である、という点からだった。ややこしい文芸映画なら敬遠していただろう。しかしもとより幻想怪奇は大好きだ。「いったいどういうお話なのだろう?」と、全く聞いたことの無い映画のタイトルに大いに心ときめかせ、観始めたこの物語は、モノクロの古いヨーロッパ映画に持っていたイメージを覆し、想像以上に新鮮で、想像以上に驚きに満ちた、めくるめくような物語であったのである。

II.

この物語でまず特筆すべきことは、そのマトリューシカのように入れ子構造になった物語構成の妙であろう。一つの逸話の中で登場人物が別の物語を語り始め、その物語の中でもまた別の物語が語られ出し…といった具合に、物語が時代も登場人物も飛び越えてどんどん逸脱してゆくのである。当然そこには決まったモチーフと、登場人物たちの縁故である、といった決まり事があり、話がまるで明後日の方向に行ってしまうとことはないのだが、観ていると何か複雑な迷宮の奥底にどんどん足を踏み入れていくような幻惑に囚われてゆくのだ。まずこの物語構造自体が、物語の幻想性と味わいの複雑さを高めているのだ。

そして次に驚かされたのは、作品の持つユーモラスな語り口調だ。幻想怪奇譚ということから、もっと暗く陰鬱な物語展開があるのではないかと身構えていたのだが、それは全く逆で、まるで民話や伝説、口碑伝承を聞かされているような、素朴さと不思議さの一体となったあやかしの物語、または、どこかとぼけた登場人物と、やはりどこかおっちょこちょいな人物との織り成す滑稽噺、これらが交互に物語られ、作品全体をユーモラスなものにしているのだ。なにより主演のフランス人将校自体が、なんだかジャック・ブラックを思わせるようなひょうきんな顔つきではないか。こういった、怪奇幻想と滑稽さの合わせ技が実に楽しかった。

もうひとつは美術の美しさだろう。目を奪うような絢爛豪華な美術とセット、ということではなくて、作品で描かれている時代と地方の、人々の暮らしぶりをうかがわせる衣類や調度、身の回りの生活雑貨品、建物と居住空間などが、実にリアルにそれらしく描かれているのだ。などと言いつつ、オレ自身が映画に描かれている当時のスペインのリアルさなど知るわけではないのだけれども、例えば水差し一つ、衣装飾り一つとっても、これまでどこでも見たことの無い物が使われ、そういった細部の細かさに、製作者の意匠が込められていると感じたのだ。そもそもこの作品はポーランドでスペイン風のセットと小道具大道具を使って撮影されたものなのだが、それを知るまではずっとスペインでの撮影と思い込んでいたぐらいだ。

III.

原作はポーランド版『千一夜物語』とも呼ばれる『サラゴサ手稿』。確かに映画からは『千一夜物語』を想起させるものが多かった。邦訳版も出ているが、全部で66日分ある挿話を14日分のみ訳したものらしい。原作者は旅行家・考古学者・民俗学者として活躍したポーランド貴族ヤン・ポトツキ(1761-1815)。監督はポーランド映画界の巨匠ヴォイチェフ・イエジー・ハス(1925-2000)。ただし現在日本でソフト販売されて観る事ができる作品は『愛される方法』(1963)のみ。主演はウクライナ出身のズビグニェフ・ツィブルスキ(1927-1967)、そしてポーランド出身のボゴミウ・コビュラ(1931-1969)。二人はアンジェイ・ワイダ作品『灰とダイヤモンド』にも出演している。

また、映画にはロック・バンド「グレイトフル・デッド」のマーティン・ガルシア、映画監督のマーティン・スコセッシフランシス・フォード・コッポラルイス・ブニュエルデヴィッド・リンチラース・フォン・トリアーペドロ・アルモドバルが賛辞を送っている。このメンツが賛辞を送るというだけでも、だいたいどういう映画か想像できるというものではないか。映画は入れ子構造を繰り返しながら、ひとつの円環構造を成していることも次第に分かってくる。そこで描かれるのは一人の男の数奇な運命といったところか。レンタルがあるわけでもないし、多少敷居も高く感じるかもしれないが、ちょっと変わった、そして好奇心そそられる映画を探している方には、是非お勧めしてみたい作品だ。


サラゴサの写本 [DVD]

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世界幻想文学大系〈第19巻〉サラゴサ手稿 (1980年)

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