伝説の珈琲店「北山珈琲店」で究極の珈琲を飲む


上野に珈琲一杯に精魂を込め、珈琲一筋、珈琲一徹の珈琲親父が営む珈琲店があるという。ただただその珈琲だけを味わって貰いたいがために、珈琲を味わうこと以外の目的での入店を断ってすらいるという。その店の入り口にはこんな張り紙がしてある。「事務、読書、商談、その他待ち合わせ等、珈琲を味わう事以外でのご入店はおことわり致します(30分以内でのご利用をお願いします)」

…料理を食べる際の順序作法にまで口を出す注文の多い頑固親父の頑固ラーメン、頑固レストランというのは聞いたことがあるが、いうなればこれは頑固珈琲店である。しかも、そんな親父の出す珈琲は、その辺の喫茶店、コーヒーチェーン店が供するコーヒーなんぞとは比べ物にならない味と、そしてびっくりするような値段が付けられているという。その店の名は「北山珈琲店」。いったいどのようなお店なのであろうか。コーヒー好きの相方さんのたってのリクエストでその店に行ってみることにしたのである。

いったい何が待っているのか…お店のドアを開けると、カウンター席に座っていたお店のマスターと思しき上品な紳士に「表の貼紙は読んでいただけましたか?」と一言掛けられる。事情は全て知っていたので「はい」と答えて中に入る。おおう…しかし知ってはいたけれどもやっぱり緊張するなあ…。実のところ、行く前にネットで事前調査していたので、あれこれ注文はあれど、実際は少しもオッカナイ店ではないことは知っていた。お店のマスターも珈琲に一家言あるにせよ、物柔らかな紳士であることも知っていた。しかし実際マスターの顔つきや物腰を見てみると、頭に詰め込んだ情報とは関係なく、その柔和な人柄が一目で伺えた。

お店はカウンター席と4人掛けのテーブル2つという小さなもので、中は若干暗めでジャズが掛かっている、という珈琲店定番のものだが、珈琲店らしい内装以外に、座席の後や店の奥に珈琲豆が入っていると思しき麻袋が山のように積まれている。それよりもお店に入ってまず驚かされるのは、お店中に立ち込めるその濃厚な珈琲臭である。立ち込める、というよりも珈琲臭で煙っている、といったほうがいい。後で調べたがこれは珈琲焙煎器から立ち上る煙の匂いなのらしい。お店の来歴やら珈琲店としての内装以前に、まず、この香りで異世界に持っていかれること必至だ。

さて注文だ。メニューにざっと目を通したが、実は入る前から既に決めていた。「雅セット」である。一般のコーヒー店でコーヒーのセット、というとコーヒーなどのドリンクにケーキなどのスイーツがついたものを指すのだろう。しかし北山珈琲店は違う。なんと、珈琲と珈琲のセットなのである!それは15年以上の熟成豆だけを使ってブレンドした珈琲【雅】と、ショットグラスに冷たい珈琲を入れ生クリームを浮かべた【雫】のハーフサイズ、いわば北山珈琲店の最高自信作2点のセットなのである。そして実はこの2点の間に口直しとして小さなカップに入った薄目の温かい珈琲が供される。だからこれはある意味珈琲3杯分のセットともいえるのである。そしてそのお値段は2500円。二人で頼めば5000円である。しかしこんな機会はそうそうないだろうと思い、思い切って注文してみたのだ。

そして出されたその味は…。くどくど説明せずに一言で言うなら、「びっくりした」。【雅】は、ガツンと苦い。苦くて濃い。珈琲カップにスプーンを立てたらそのまま立っていそうなぐらい濃い。にもかかわらず、そんな苦さや濃さがありながら、全く濁りのない味なのだ。そしてその香りは、今まで嗅いだどんなコーヒーの香りとは比べ物にならない、焙煎のくすんだような深い香りだ。そしてその【雅】を半分ほど飲んで、ミルクと砂糖をたっぷり入れる。するとオレと相方さんが「なんだこれは」と目を大きく見開く。「ああこれか!これだったのか!」と珈琲をとことん突き詰めたその味に驚くのだ。

そして口直しの小さな珈琲を飲んだ後に【雫】が出される。これが足の付いた本当に小さなショットグラスに入っている。どこまでも黒に近い褐色の珈琲の上に数ミリほどの厚さで生クリームが広がる。これを混ぜずに生クリームの下の珈琲から先に口に入るように飲むのだ。そして【雫】を口に含んだオレと相方さん、思わず「うおお…」と小さく唸ってしまう。冷たくキリッとした苦みが生クリームの甘さによってさらに際立たせられ、アイスコーヒーではなく冷製珈琲とでもいうような今まで体験したことのないような味にとにかく驚かされる。おまけに最初に飲んだ【雅】の強烈なカフェインが体中を駆け巡っているのも相まって、奇妙な昂揚感すら覚えるではないか。これさあ、変な言い方するけど、バカなドラッグやるより絶対キマルぜ?

まあ、お店の緊張感、雰囲気、そしてそれなりに高価なお値段、ということでいろいろ気分的に「盛っている」というのも十分あるだろう。500円で同じものを出されたら自分はどんな反応をするだろう?と思えなくもないのは確かだ。しかし体験としては相当面白いものだった上に、とてつもなく旨い珈琲だったというのは間違いない。とは言いつつ、その「珈琲と格闘する」かの如き緊張感を和らげるため、北山珈琲店を出た後に普通のどこでもあるコーヒーチェーン店に入って一服しながら気を落ち着けた、という笑い話のような行動を取ったオレと相方さんであった。珈琲+珈琲のセットというのも初めてだが、珈琲店をはしごする、というのも初めての体験なのであった。

◎参考:「ウエスタン北山珈琲店…上野 / オールアバウト グルメ」 「コーヒーを飲むこと以外は、許されない喫茶店 / デイリーポータルZ」
◎北山珈琲店 〒110-0004 東京都台東区下谷1丁目51 営業時間:12:00-19:00 月曜定休