『地獄の黙示録 3Disc コレクターズ・エディション』Blu-ray買った

 
あの『地獄の黙示録』が遂にBlu-ray化!ということで早速買っちまったのである。Discは3枚、Disc1は『地獄の黙示録 劇場公開版(147分)』と『同 特別完全版(196分)』、Disc2は『ハートオブダークネス コッポラの黙示録(96分)』と映像特典(23分)、そしてDisc3には321分もの特典が収められている。まともに全部観ると783分、実に13時間あまりのとんでもないボリュームなのである。ほぼ半日『地獄の黙示録』漬け、文字通り地獄の黙示録状態、地獄の黙示録を骨までしゃぶりつくす仕様なのである。だいたい特典だけで5時間半って、いったいどうしたらいいんだ…。そもそも撮影フィルムだけで100万フィートあったという映画だから、これをラッシュで全部視聴し編集した人間の地獄の苦しみの一部でも購入者に味合わせようと言う魂胆なのか。ってか今ちょっとだけ特典観たら、ジャングルの人たちが「ハートに火をつけて」を歌いながら踊っているとんでもないシーンがあったぞ。おいおい14歳のローレンス・フィッシュバーンが出演してたのか(哨戒艇の黒人兵)この映画!?とまあちょっとさわり観ただけでも凄いことになっている。
本編の映像の美しさは言うまでもない。昔劇場で観てその後DVDで観ていても、Blu-rayのくっきりパリパリのHD画質でもう一度見直すと、「こんな映画だったのか!?」と度肝を抜かれること必至、まるで新たな気持ちでもう一度見られるからお得としか言いようがないほどに綺麗なのである。そしてこの本編を見てもう一つ驚愕の事実が発覚した。『地獄の黙示録』は劇場公開版のみならず特別完全版もちゃんと観ていた、と思っていたのだが、このBlu-rayで特別完全版を観たところ、それは記憶の間違いであり、今始めて特別完全版を観たということが発覚したのである。いやああびっくりした!あんなシーンやこんなシーンが付け加えられているなんて!プレイメイトの末路を描いたエピソードも凄かったがベトナム奥地に住むフランス人入植者一族のエピソードも物語の内容を一層深めているじゃないか!しかもカーツ大佐の本拠地に潜入してからもかなりのシーンが付け加えられ、そしてなにより驚いたのはラストが違う!あれは違うって言っていいんじゃないの!?いやあほんとびっくりしたわ。
こういった削除シーンを復活させた完全版はファンにとって嬉しいものであると同時に単に冗漫になってしまう場合もあり、もしもこれから初めて『地獄の黙示録』を観る人がいたらどちらのバージョンを観たほうがいいか薦めるのに躊躇するものがあるけど、そもそもが中盤からグダグダになってゆくのが逆に面白い映画だから、それに輪をかけてもっととりとめもなくグダグダになってゆく特別完全版は実に完全版らしい完全版と言えるかも。
内容についてはいまさらあれこれ言うこともない、映画史にいろんな意味で残るに決まっている傑作であり問題作だろう。しかしこの映画が真に面白いのはこれだけ力の篭った作品なのにもかかわらず実はストーリーがちぐはぐでテーマもあやふやである、という妙に歪な完成度だと言うことだ。狂気に満ちたベトナム戦争で始まったはずのものが次第に文明論にすり返られ(しかもそれが西洋の側からの視点しかなく)、そして長々と物語られてきたこのお話の結末がアメリカ人同士の諍いでしかなかったという狭窄的な視点が、『地獄の黙示録』の歪な完成度の原因となっているんだろう。欧米白人が異文化に触れその只中に取り込まれたときにそのアイデンティティを失くすという構図は、ベルトリッチの『シェルタリング・スカイ』にも通じるものを感じるが、彼らのその異文化への恐怖は、徹底的な排他性という意味において彼らの一神教の神を奉ずる信仰とどこか通じているのかもしれない。
にもかかわらず「地獄の黙示録」が非常に興味深い作品として完成しているのは、監督コッポラ自身が意図せずに異文化の中でアイデンティティを喪失してゆく過程をフィルムの中に焼き付けているという、ある種偶然の要素によるものだろう。物語の混乱はコッポラのかの地での混乱そのものを体現しており、しかもそれを最後まで対象化できなかったという異様さがあの映画の奇妙な魅力となっているのだ。