SFコミック『宝石の国』が凄まじい名作だった

宝石の国(1~13・完結)/ 市川春子

宝石の国(13) (アフタヌーンコミックス)

最近完結したということでSNSで話題になっていた市川春子のSFコミック『宝石の国』、これまで全く知らなかったのだが、圧倒的な評価の高さに興味を持ち、全13巻を大人買いして一気読みした。するとこれが、とてつもなく素晴らしく、なおかつ美しい絶望に満ち溢れた作品で、読了後呆然としてしまった。

舞台は遥か遠い未来の、人類などとっくの大昔に絶滅した地球である。ここには人間の形をした「宝石」と呼ばれる28体の生命体が存在しており、「金剛先生」と呼ばれるリーダーの元、月からやってくる「月人」と呼ばれる謎の敵と理由の定かではない戦いを続けていた。「宝石」たちは不老不死であり、なおかつ肉体損壊からの再生も可能で、”硬度”により様々なキャラクターと役割を持っていた。物語の主人公は若年であり”硬度”が足りないことから役立たずの扱いを受けているフォスフォフィライト。フォスはある日海の中の”生物”を発見したことから、この世界に隠された真実を知ることになる。

まず、なにもかもが滅び去り、「宝石」と「月人」との確執以外何も存在しない荒涼とした世界の光景が異様すぎる。それは孤独と寂寞感だけが世界全てを覆いつくしたかのような光景だ。そしてその中にある「宝石」という存在。生きて、動いて、思考する「鉱物」とは一体何なのか、それ自体に理解が追い付かない。

彼/彼女ら(「宝石」には性別がない)は妖精のように美しい姿で描かれ、人間そのもののように思考するけれども、何度も肉体破壊を繰り返しながら蘇る様はとことん異質であり、決して人間とは同一視できない。そして月より襲い来る「月人」の部隊は仏教の曼荼羅の如き形態をしているが、なぜ仏教モチーフなのか、単に意匠を借りただけなのか、それも判然としない。

全てが異様で異質で謎だらけで、人間の存在しない世界で人間の理解を超えた出来事が展開している。このような設定と世界観でひとつの物語を、それも壮絶かつ壮大な物語を進行させてゆく作者の丹力と想像力の奥深さにただただ組み伏せられてしまうのだ。

巻を追うにつれ様々な謎が明かされ、この世界の成り立ちと滅び去った人間たちの思惑と、「宝石」「月人」の存在理由、さらにこの世界がどうなろうとしているのかが説明されてゆく。それはもう、生命というものの儚さ、時間というものの無情さ、それらが孕む絶望、あるいはなけなしの希望、その全てを覆う宇宙というものの虚無、こういったものが静かに残酷に提示されてゆくのだ。なにより簡単に数千年が過ぎ、最後には数万年数億年という時間経過を描き切る壮絶さには読んでいて気が遠くなってしまったほどだ。

こういった、超超遠未来に待つ究極の虚無を描いた点において、光瀬龍百億の昼と千億の夜』、小松左京『果てしなき流れの果てに』、筒井康隆『幻想の未来』すらも凌駕し、オラフ・スティープルドン『最後にして最初の人類』、ブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』をも彷彿させる。SFコミック『宝石の国』はこれらに並び比す痺れる程の想像力に満ちた作品であり、もはやSF史に名前を刻むべき名作と言い切っても過言ではないだろう。