市川春子のSF短篇集『虫と歌』『25時のバカンス』、短篇『三枝先生』を読んだ

虫と歌 市川春子作品集 / 市川春子

自分の指から生まれた妹への感情を綴る『星の恋人』。肩を壊した高校球児と成長を続ける“ヒナ”との交流が胸を打つ『日下兄妹』。飛行機事故で遭難した2人の交流を描く『ヴァイオライト』。そして、衝撃の四季大賞受賞作『虫と歌』。深くてフシギ、珠玉の4編を収録。

市川春子の『虫と歌』『25時のバカンス』は『宝石の国』以前に描かれたSF短編集だ。これが、『宝石の国』の解題になるばかりか、『宝石の国』と共通するテーマを孕んだ、市川春子という漫画家のコアな部分を知る事ができる秀逸な作品集だった。『宝石の国』と共通するテーマ、それは「人に限りなく近い人に非ざるものとのコミュニケーション」である。

人の形をした人のような人との届きそうで届かない、あまりにもどかしいコミュニケーション。人の形をした人のような人とはつまりは人なのだが、人同士のコミュニケーションが成立するという前提の世界では、成立しないコミュニケーションとはそれはどちらかかが、あるいは両方が、人ではないからなのではないか、という離人症めいた錯覚を抱いてしまう、それを具現化し視覚化したのが市川春子の諸作だ。

市川春子の物語には絶望と希望とが同居している。この気持ちはあなたに【絶対に】届かない。この気持ちはあなたに【もしかしたら】届くかもしれない。私たちは【絶対に】理解し合えない。私たちは【もしかしたら】理解し合えるかもしれない。そしてそれがどちらなのかは【永久に】分からない。シュレーデンガーの猫のような【永遠の保留】。そのもどかしさ、焦ったさ、切なさ、希望と絶望の間で延々と宙吊りにされる事の蒼く透明に引き伸ばされた喪失感。

あなたはもういないという事の寂しさとあなたはかつていたという事の喜びは、別なようで実は一つで、それは私の気持ちはいつもあなたの周りで巡っている、巡っていた、という事に他ならないのだ。それが届いても届かなくても、あなたを想うというたった一つの気持ちに変わりはないのだ。その記憶だけで、私は幸福であり、そして幸福だったのだ。市川春子の紡ぐ物語には、どれもそんななけなしの叙情が込められているような気がしてならない。

25時のバカンス 市川春子作品集Ⅱ / 市川春子

海底から月、宇宙へ。生命の彩りはどこまでも。さらりと深い、フシギな3編を収録。●「25時のバカンス」深海生物圏研究室に勤務する乙女(おとめ)は、久しぶりに弟の甲太郎(こうたろう)と再会する。深夜の海辺にて彼女が弟に見せたのは、貝に侵食された自分の姿だった。●「パンドラにて」土星の衛星に立地する「パンドラ女学院」。物言わぬ奇妙な新入生・ロロに気に入られたナナは、幼き日の記憶を思い起こす。●「月の葬式」勉強も親の期待もわかってしまう天才高校生。試験の日に乗る電車を「間違えた」彼は、雪深い北の果てで、ひとりの「王子」と出会う。

市川春子の物語に共通しているのは、物語で描かれる家族は基本的にみな疑似家族であり、しかもそのほとんどは人間ではないといった部分だ。また主人公の両親はかなりの割合で存在せず、父親が描かれる事があっても社会性を持った成人男性であったりとか親としての受容力を持った存在としては描かれず、つまりは父親と呼ばれるべき権威や存在感が希薄なのである。

これは『宝石の国』ではその変形として描かれるが、最初金剛先生は宝石たちの保護者として登場しながら、終盤において決してそういった存在ではなかったという部分においてやはり父性が否定されているのだ。 これは一体なんなのだろう?血の繋がりという最も濃厚であるはずの人間関係が市川の物語では最も希薄な人間関係となっているのだ。

逆に、モブとして登場する“知り合い”たちは、大抵が喧しく馴れ馴れしくひたすら“人間”臭い。 市川の物語においては家族というのはそもそも全てが他者であるか存在すら許されていない。これはあまりに孤独ではないか。市川の物語では誰もがあらかじめ孤独であり、人外の存在が擬似的な家族関係を築く事でようやく存在を認められるのだ。

それはこの『25時のバカンス』でも同様だ。家族は人外の者であり、つまりそれは、家族である以前に人から限りなく遠い存在であるという事で、しかしだからといって忌避すべき対象でも理解不能だというのでもなく、自分とは全く違う種族の存在ではあるが家族としての存在を認め尊重しているのだ。だがこれは受容なのだろうか。それは冴え冴えとした諦観なのではないか。

三枝先生 / 市川春子

宝石の国』の市川春子が描く、作品集未収録の読み切り『三枝先生』です。 電子版用にサムネイル画像を作者が新規描き下ろし! 保健室の先生と生徒がおりなす、楽しくて、美味しくて、 ちょっとフシギなお話をお楽しみください。

短篇「三枝先生」は『宝石の国』執筆以前の2011年に描かれたものだが、なぜか作品集未収録で短篇単体で電子書籍販売しており、とりあえず市川春子ブーム真っ盛りのオレは読んでみた。物語はやはり「人に限りなく近い人に非ざるものとのコミュニケーション」がテーマとなっており、このテーマが作者によっていかに偏執的に繰り返されているのかがまたもや確認できる作品となっている。作者の人生に何があってここまでこだわるテーマとなっているのか、ちょっと気になるところである。