京極夏彦の『今昔百鬼拾遺 天狗』を読んだ

■今昔百鬼拾遺 天狗/京極夏彦

今昔百鬼拾遺 天狗 (新潮文庫)

昭和29年8月、是枝美智栄は天狗伝説の残る高尾山中で消息を絶った。約2か月後、遠く離れた群馬県迦葉山で女性の遺体が発見される。遺体は何故か美智栄の衣服を身にまとっていた。この謎に、旧弊な家に苦しめられてきた天津敏子の悲恋が重なり合い――。科学雑誌『稀譚月報』記者・中禅寺敦子、代議士の娘にして筋金入りのお嬢様=篠村美弥子、そして、これまで幾つかの事件に関わってきた女学生・呉美由紀が、女性たちの失踪と死の謎に挑む。

 『鬼』『河童』と続いてきた京極夏彦の「今昔百鬼拾遺」シリーズ最新刊は『天狗』である。これまでの「百鬼夜行」シリーズでは中禅寺・関口・榎木津らが主人公を務めたが、この「今昔百鬼拾遺」3部作では彼らは一切登場せず、代わりに中禅寺の妹・敦子、そして『絡新婦の理』に登場した女学生呉美由紀が主人公となり妖怪的な怪事件の謎に挑むという訳だ。ちなみに3部作とは書いたが、作者・京極の弁によると書かせてもらえるならまだ続けたいのだそうだ。

物語は高尾山に於いて発生した数人の女性の神隠し事件、さらに後に発見された不審な腐乱死体、これらがどう結びつきどのような事件の真相が隠されているのかを追うというものだ。タイトルの『天狗』は神隠しが”天狗攫い”と呼ばれることによるものではあるが、同時に”高慢さ”の象徴としての「天狗」の意味も隠されているのらしい。その”高慢さ”とは何の事なのかは読んでからのお楽しみという事にしておこう。

さて難事件解決とは別にこの物語のもう一つのテーマとなるのは同性愛の問題である。同性愛が問題なのではなく、それに対する無理解、忌避、蔑視という問題のことだ。今でこそLGBTに関わる理解は進んでいるが、物語の舞台となる戦後まもない時代であるならその無理解は今よりも過酷なものであったろう。しかし京極はこの問題をあえて現代的に語ることによりその差別の根幹となるものをあからさまにしようとする。その根幹とは、旧弊な価値観のまま胡坐をかき続ける愚昧な男権社会の在り方なのだ。

京極作品を全て読んでいるわけではないので間違っているかもしれないが、作者・京極が女性を主人公として社会における女性の立場を描き始めたのは『書楼弔堂 炎昼』あたりからだったのだろうか。この作品において主人公となる女性は明治という変わりゆく時代を背景に、変わりつつある女性の人権の在り方を体感してゆく。しかし京極は、明治という時代に仮託しながら、その問題提起は十分に現代的であった。

そしてこの「今昔百鬼拾遺」シリーズでは、これまでの男性主人公ら全てを蚊帳の外に追い出し、若き女性二人を主人公に据え物語を展開してきた。実の所最初は主人公の性別を変える事で目先を変えることを狙ったものなのだろうと思っていたのだが、この『天狗』を読むにつけ、これは味付けと言ったものなのでは決して無く、京極なりの問題意識を提示したものだったことが理解できる。

以前から感じていたが、ここ最近の京極作品は過去の時代を舞台にしながら現代社会の問題点へそれとなく切り込んでいた。そして今作『天狗』ではその問題点の中心にあるのが武家社会の時代から何ら変わることの無い日本の男権社会であることを、登場人物の口を通しはっきりと明言する。今作においては同性愛が取り上げられたが、それはどこぞの出版社が流行らせようとしている安直な「百合小説」を標榜する為では決して無い。

 「今昔百鬼拾遺」シリーズは確かに中禅寺らが主役を務める本流「百鬼夜行」シリーズの如き論理のアクロバットやめくるめくペダントを楽しますものではないが、仏頂面した男たちのニエニエになった屁理屈から解き放たれた軽さ、軽やかさがある。これはキャラの固まった主役男性陣ではなく、これまで脇役だった女性陣を中心に据えたことの効果だ。彼女らは若くそれゆえに不器用だが、新しい価値観を持ち、聡明であり、人間への共感は決して忘れない。こうした主人公が活躍する「百鬼夜行」シリーズになかなかの新しさを感じた。

今昔百鬼拾遺 天狗 (新潮文庫)

今昔百鬼拾遺 天狗 (新潮文庫)

 
今昔百鬼拾遺 天狗

今昔百鬼拾遺 天狗

 
■参考:京極夏彦インタビュー
■今昔百鬼拾遺シリーズ レヴュー

◎今昔百鬼拾遺 鬼

今昔百鬼拾遺 鬼 (講談社タイガ)

今昔百鬼拾遺 鬼 (講談社タイガ)

 
今昔百鬼拾遺 鬼 (講談社タイガ)

今昔百鬼拾遺 鬼 (講談社タイガ)

 

◎今昔百鬼拾遺 河童

今昔百鬼拾遺 河童 (角川文庫)

今昔百鬼拾遺 河童 (角川文庫)

 
今昔百鬼拾遺 河童 (角川文庫)

今昔百鬼拾遺 河童 (角川文庫)