京極夏彦の『今昔百鬼拾遺 鬼』を読んだ

■今昔百鬼拾遺 鬼/京極夏彦

今昔百鬼拾遺 鬼 (講談社タイガ)

「先祖代代、片倉家の女は殺される定めだとか。しかも、斬り殺されるんだと云う話でした」昭和29年3月、駒澤野球場周辺で発生した連続通り魔・「昭和の辻斬り事件」。七人目の被害者・片倉ハル子は自らの死を予見するような発言をしていた。ハル子の友人・呉美由紀から相談を受けた「稀譚月報」記者・中禅寺敦子は、怪異と見える事件に不審を覚え解明に乗り出す。百鬼夜行シリーズ最新作。

京極夏彦の【百鬼夜行シリーズ】が遂に再開!」と聞いてオレは色めき立ったのである。「おおう!京極夏彦!今でも思い出した頃に新作ぽちぽち読んでたけど、【百鬼夜行シリーズ】は久しぶりだああ!また理屈っぽい中禅寺ややる気の無い関口や素っ頓狂な榎木津やその他諸々の皆さんに会えるうう!」とかなんとか喚きながらオレは小躍りした。

しかし【百鬼夜行シリーズ】って最後いつだったっけ?と思い調べたら長編『邪魅の雫』が2006年刊行、連作短編集『百鬼夜行――陽』が2012年刊行と、やっぱり随分と前なのだ。京極自身は今でもコンスタントに作品をリリースしているので、【百鬼夜行シリーズ】がリリースされないのは単に飽きたのかなあ?と思っていた。同時に、最後の長編『邪魅の雫』がなんだかパッとしない作品で(読んではいたけど調べるまで存在すら忘れていた)、こういった世界観に行き詰ったからかもなあ、とも思っていた。

とまあ長編としては実に13年振り(!)ともなる新たな【百鬼夜行シリーズ】のタイトルは『今昔百鬼拾遺 鬼』。最初「んん?」と思った。これまでの『(妖怪の名前)の(漢字一文字)』みたいなタイトルじゃないんだね。なんかどうやらこれまでと趣向を変えているようなんだね。まあ煎じ詰めるならスピンオフってことなんだが。

で、どう変わっているかというとまず、主人公は「京極堂」こと中禅寺秋彦じゃない。代わりに京極堂の妹で科学雑誌記者の中禅寺敦子が主人公となる。それだけではない。なんと今回の『今昔百鬼拾遺 鬼』、文庫本では274ページと、百鬼夜行シリーズ】にしては驚異的な薄さだ。だってアナタ、文庫版『陰摩羅鬼の瑕』なんて1226ページもあったんですよ!?鬼畜の所業ですよこんな厚さ!?とか言いつつ京極の本はこの厚さがいい、というマゾ設定なんですがね!ああ、シリーズ全作読んでるんだよオレッ!泣きながら読破したよッ!

しかしまあ、「中禅寺敦子が主人公」という段階でこの薄さは頷けるのだ。なぜって、百鬼夜行シリーズ】のページが分厚いのはですね、どの作品においても、主人公京極堂が延々数100ページに渡って屁理屈と能書きを垂れまくっている、という構成だからですよ。さっき触れた陰摩羅鬼の瑕なんて、1226ページのうち600ページは京極堂の能書きでした(当社比)。

この新たな構成がきっと新たな百鬼夜行シリーズ】 の目標としたものなのかもしれない。それと併せ、今回講談社から刊行された『今昔百鬼拾遺 鬼』の後に、KADOKAWAから『今昔百鬼拾遺 河童』、新潮社から『今昔百鬼拾遺 天狗』といったタイトルが矢継ぎ早にリリースされる予定なのだ。それぞれ出版社が違うのも面白いが、この3冊を合わせたらやっぱりページ数が1000ぺージ超えとなっており、薄い薄いといいながら1冊の連作短編集と考えたらやっぱり分厚いんだよな。蛇の道は蛇ですよねえ京極さん。

あ、物語のほうはですね、中禅寺敦子が『絡新婦の理』に出てきた女学生、呉美由紀の依頼により連続通り魔事件の謎を追うというもの。この通り魔、日本刀による凶行を繰り返していたのだが、呉美由紀の同級生を斬り殺した際に捕えられてしまう。しかし、何かがおかしい……という所から物語が始まる。そして今回表題となっているのは【鬼】。鬼ってなんじゃ、どういうものが、どういうことが、鬼なんじゃ、という部分で物語は錯綜してゆく。

なにしろうら若き女性二人による殺人事件捜査、という部分でこれまでの【百鬼夜行シリーズ】と相当趣が違っている。重々しさは軽快さに、晦渋さは若々しさに置き換えられ、こう言っちゃなんだがライトノベル的な雰囲気さえある。ただし事件の真相に潜む”妖怪化”してしまうほどの人間心理の暗部、決して割り切ることの出来ない心の綾を論理でもって解明しようとする探偵、といった点では【百鬼夜行シリーズ】らしい出来になっている。これからの続巻も楽しみだ。……とはいえ、予告されている本編『鵺の碑』にはそのうち繋がるのかなあ?

今昔百鬼拾遺 鬼 (講談社タイガ)

今昔百鬼拾遺 鬼 (講談社タイガ)

 
今昔百鬼拾遺 鬼 (講談社タイガ)

今昔百鬼拾遺 鬼 (講談社タイガ)