息子のためにお父さんが七転八倒!?〜映画『フェラーリの運ぶ夢』

フェラーリの運ぶ夢 (監督:ラジェシュ・マプスカル 2012年インド映画)


昨年日本でも公開されたインド映画『フェラーリの運ぶ夢』(原題:『Ferrari Ki Sawaari』)をやっと観ることができた。国内上映が叶ったとはいえ、上映劇場がオレの棲家から結構離れており、二の足を踏んでいるうちに上映終了となっていたのである。ただ、ソフト化は今現在されていないが(諸事情でソフト化はしないという情報もあり)、iTunes storeAmazonビデオで配信されているのを知り、こちらで観ることができた。この時は若干お安かったiTunes storeのほうで観た。リンク先には\2500しか表示されないがレンタルはHDで\500。一方AmazonビデオはHDが\540、SDが\432。SDでいいならAmazonビデオのほうが安い。

映画『フェラーリの運ぶ夢』はクリケット少年である息子を有名な海外トレーニングに参加させたい父親が、その金策のために巻き起こすドタバタを描いたものだ。まず関心を引くのがこの作品は『きっと、うまくいく』の製作陣と出演者が参加していることだろう。監督・脚本のラジェシュ・マプスカルは『きっと、うまくいく』で助監督を務めており、『きっと、うまくいく』監督であるラージクマール・ヒラニも脚本に参加している。主演のシャルマン・ジョーシーとボーマン・イラーニーも同作品から続投だ。音楽は『チェイス!』『バルフィ!人生に唄えば』のプリ―タム・チャクラボルティー。また、アイテム・ガールとしてヴィディヤー・バーランが出演しているのもちょっと嬉しい。

主人公となるのは交通局に勤める生真面目な男ルスタム(シャルマン・ジョーシー)。彼は既に妻を亡くし、偏屈な父(ボーマン・イラーニー)とクリケット好きの息子カヨー(リトヴィク・サホーレ)の3人で暮らしていた。そんなある日、選ばれた者だけが行けるロンドンでの強化合宿トレーニングへの機会がカヨーに訪れる。しかしその為には15万ルピー支払わなければならず、ルスタムにはそんなお金はない。そんなルスタムに、とある金持ちの息子の結婚式にクリケットスター所有のフェラーリを借りてこられたら15万ルピー支払う、という話が舞い込む。無理を承知で借りに行ったルスタムだが、なぜだか簡単に借りることができてしまう。だがそれがきっかけとなり、街を挙げての大騒ぎになるとは彼も予想していなかった!

家族を愛し未来を信じるキラキラした瞳の少年のクリケットに賭ける夢。そんな息子の夢をなんとしてでも叶えようとなりふり構わず粉骨砕身する父親の愛。このように、映画『フェラーリの運ぶ夢』は夢と希望と家族愛の物語なのである。…なのであるが、う〜む…、心の汚れきったオレには、ちょっと善意に満ち溢れすぎていて面映ゆい物語でもあった。作りとしてはいわゆるファミリー・ムービーであり、ドキドキハラハラ、絶体絶命のピンチ!などはあれど、冷酷冷徹な悪人が登場したりとか、辛く恐ろしい事件が起こるとかいう訳ではない。あれこれあれども基本的に性善説に基づいたようなシナリオで、安心して観ていられる反面、どことなーく、甘ったるく感じてしまったのは正直否めない。あとこれはとても個人的な話なんだが、主人公ルスタムが何故かスティーヴ・カレルに見えてしまい、なぜかスティーヴ・カレル主演映画『40歳の童貞男』のあんなシーンやこんなシーンが頭を経巡って多少いたたまれなかった(ホントに個人的な話でスマン)。

などという苦言を最初に呈しておきつつ、やはりシナリオの練り込み具合とエピソードの盛り込み具合、終盤に行くにつれ話が二転三転する目の離せなさ具合など、作話の巧さには非常に感心させられた。過剰過ぎずダレルこともなく、2時間超の上映時間をしっかり見せてゆく。このバランスのいい盛り込み方は名作『きっと、うまくいく』で慣らした関係者の手腕のなせる業だろう(…って殆ど先入観だけで言ってるような気もするが)。そしてラストは卑怯なほどに泣かせに入る。ここで描かれる親子愛や親密なコミュニティの優しさ美しさはインド映画ならではといえるだろう。そして観終わった後はとても爽やかだ。ファミリームービーっぽささえ気にしなければ十分楽しめる映画作品だろう。

それとこの作品、脇役がなかなかいい。ルスタム親子が品行方正な分、脇役が癖のある配役になっているのが楽しい。ボーマン・イラーニーや『OMG Oh My God ! 』のパレーシュ・ラワルはもとより、今回の「フェラーリ事件」の発端ともなった結婚プランナーのオバサン、そして胡散臭い政治家とそのドラ息子、消えたフェラーリを探し回るガードマンと管理人、どいつもこいつも濃い顔をさらに苦悶で歪めてドタバタしまくる様が実に可笑しい。映画『フェラーリの運ぶ夢』は意外と彼ら「濃い顔の脇役」によってピリッと〆られていたのかもしれない。