ふくしま屋が閉店した


数十年通っていた「ふくしま屋」が店を閉めた。ふくしま屋というのは近所のモツ焼き・もしくはヤキトンの店で、飲み屋とかではなく店頭でモツを焼いて販売していたのだ。
ふくしま屋のモツ焼きは絶品だった。売っていたのは、タン・ハツ・レバ・シロ・ガツ・ナンコツ・カシラ・ツクネで、通い始めた頃は1本70円か80円だったが、最近までは100円になっていた。モツはその場で炭火で焼かれ、店頭に並べられていたが、注文によって奥の冷蔵庫から出されて焼かれることもあった。
オレはどのモツも好きだったが、特にナンコツが好きだった。ここのナンコツはぶつ切りになったチューブ状のナンコツに、脂肪や肉やゼラチン質のかけらがブリブリにくっついており、この肉その他のかけらのジューシーな味わいと、ナンコツのコリコリした歯触りとの組み合わせが堪らなかった。オレにとってナンコツとはふくしま屋のナンコツであり、ここ以外の店のナンコツはどれもふくしま屋に及ばなかった。
次に好きだったのがガツだ。固くて一度では噛み切れず、一かけら口に頬張った後は何度も咀嚼しなければ飲み込む事が出来なかったが、この「食い物と格闘している」感触が堪らなかった。
タンも美味かった。タンならではの脂肪の甘みと歯触りが噛み締めるほどに口に広がった。カシラの旨味は肉の味の王道を行く味わいだった。ただ、他のモツのモツならではの味わいと比べるなら、その王道のポピュラーさがつまらないといえるかもしれない。またハツは逆に、脂肪の無い筋肉の味わいが豊かで、他の濃厚さとは違う美味さがあった。
そもそもここのモツ焼きはどれも概して固かった。ただしガチガチに固いのはガツとナンコツで、他は「程よい固さ」をキープしていた。あのレバでさえ、少なくとも表面はガチッと固く焼け、ただし中身はレアの柔らかさだった。シロも、他の店のシロと比べると固いものだった。例外はツクネで、まあこれもふわりとしている、といったものではなかったけれども、他の固いモツ焼きを食った後では比例して柔らかい歯触りが口安めになった。
オレはいつも8本から10本、この店で注文した。基本はどれも1本ずつ、タレでだ。これは好き嫌いがあると思うが、オレは塩よりもタレこそがふくしま屋のモツの旨味を引き出していると確信していた。注文すると、まず奥の炭火で素で一度焼いてタレをくぐらせ、それを店頭の炭火でもう一度焼き、そしてまたタレをくぐらせて出来上がりだ。
ここのタレの味わいをなんと表現すればいいのだろう。甘辛いが砂糖を使っていないのか、決してベタベタした甘さではなく、すっきりしている。意地汚い話なのだが、モツ焼きを食い終わって残ったこのタレを、実は飲み干してしまうぐらい美味かったのだ。このタレの美味さもオレにとってモツ焼きの標準となっており、やはりここのタレを超えるタレはそうそう出会えていない。
店ではいっしょに生モツの販売もしていた。レバ、ハツ、ガツ、モツ。たまにここで生モツを買って、モツ煮込みやモツ鍋を家で作ってたりしていた。
お店は家族経営だった。おじいちゃんとお母さん、その息子。おじいちゃんは長年の炭火焼のせいか、両手の甲に火傷の後らしいものがいっぱいに広がっていた。このおじいちゃんは暫く前に引退したか、または他の事情で店先に出なくなり、お母さんと息子二人でお店を切り盛りしていた。オレはお店に行くといつも「旦那さん」と呼ばれて、これがなぜだか照れ臭かった。
以前は、金曜日や休みの日の夕方はここに寄ってモツ焼きを買い、家に帰ってビールを飲みながら楽しんでいた。オレは国産ビールならたいていキリンビール一番搾りばかり飲んでいるのだが、このふくしま屋のモツ焼きの時だけはサッポロビール黒ラベルにしていた。不思議とこちらのほうが合うのだ。サッポロビールというのはしょうゆ味のもの、総じて和食系に合うビールなのかもしれない。
固い肉ばかりで咀嚼の回数が多くなるせいか、頭が覚醒する分酔いも遅くなり、逆にビールを飲む量もいつもより多くなる。たいていはビール1.5ℓ、多いときは2ℓぐらい飲んだ。モツ焼きの時は必ずほうれんそうのおひたしを作った。冷奴も忘れてはならない。時によって冷奴はあぶった厚揚げになったりした。そして、散々飲み食いした後の〆は、なぜか納豆。それもパックのままガシガシ食う。濃い肉質のものを食べた後に納豆は妙に口がさっぱりするのだ。
そんな大好きだったふくしま屋のモツ焼きだったが、ここ2、3年は食う機会が減っていた。一つは相方さんと週末を過ごすようになったからで、もう一つは固くて消化に悪く、さらに塩分の高い調理をした肉が食べられなくなってきたからだった。だから久しぶりにここのモツ焼きを食べても、味が落ちたという事ではなく、体調のせいで以前より美味く感じなくなってしまった、という理由で足が遠のいていたのだ。オレも歳を取ったのだ。
それでも、やはりあの味が忘れられず、ついこの間久しぶりにお店に行ってみたら、閉店の貼紙がしてあった。あーそうか、ふくしま屋のモツ焼きはもう食べられないのか、と思うのと同時に、この店のモツ焼きを食い続けてきたオレの長い長い年月も、もう変化の時が来たのかもしれないな、と思えてならなかった。古いものが消え、新しいものにとって代わる。そしてオレは古いものの部類に入る人間になってしまったんだろう。モツ焼きばかり食っていた毎日も先程書いたように随分前から無くなってしまったし、もとより以前ほどビールも飲めなくなった。こうしてどんどん歳を食ってゆくのだろう。
だが、ふくしま屋のモツ焼きを食いながらビールをかっ込んで、大好きな映画のビデオやらDVDやらBlu-rayを観ていた毎日は、自堕落ながら楽しい日々だった。オレの酔っぱらい人生のいくばくかは、ふくしま屋のモツ焼きと共にあったのだ。オレはふくしま屋のモツ焼きと共に過ごした日々を決して忘れはしないだろう。あのおじいちゃんも、おばちゃんも、息子さんも。注文したモツ焼きが焼きあがるまで、店先でボケっと空を仰いでいた時の、あの奇妙なまでに解放感に溢れたしあわせも。ありがとうふくしま屋、そしてさようなら、ふくしま屋。