■籠の中の乙女 (監督:ヨルゴス・ランティモス 2009年ギリシャ映画)
ギリシャのある裕福な家庭を舞台にした倒錯的な物語です。
この家の家族構成は父親と母親、そして成人近くまで成長した男1人女2人の3人の子供なんですね。しかし一見平和そうなその家庭では、実は異様なシチュエーションが進行しているんです。その家はプールや広大な庭があるのと同時に、なぜか高い塀が家を囲っており、外の世界が見えないようになってるんですね。
そしてこの3人の子供というのが、実は厳格な父親によって、生まれてから一度も外の世界に出ることも外の世界を見ることもなく、それらから一切遮断されて育てられた子供たちだったんですよ。さらに家の中では外の世界がどうなっているのか知る術となる物が一切置かれていません。そして父親はこの子供たちに、外の世界についても、言葉の意味すらも全く違うことを教育しているんですよ。
しかもこれが何かの狂信的な教え、というのではなく、ただ単に、無意味でしかない戯言を教えているだけなんですね。気取った言葉でいうとシニフェとシニフィアンの意図的な倒錯が成された、ある意味ポスト構造主義的なシナリオの物語、と言えるんですね。要するにここでは現実を隠蔽し虚偽を流布させることで意味論的な倒錯が進行している、ということができるわけです。そしてそれと呼応して性的な倒錯をもここでは行われているんです。
父親がなぜ子供たちを外界から隔絶し、このようないびつな教育を行っているのかという理由は描かれません。そのいびつさゆえに、少なくとも子供たちの純粋性を守る為などということは考えられないでしょう。ではなぜか?と考えると、それは単に父親が狂っているから、としか考え付きません。しかしこの父親は一歩外の世界に出るとごく普通のビジネスマンであり、さらにこの裕福さを考えると有能であり一般的な社会性を持った人物だということもいえるのです。つまり彼は全き狂気の中にいる人物というよりは、そのパーソナリティーが有する複数のレイヤーの中で、子供の育て方という部分のみが壊れた人物だということなのです。
しかしこれは一個人の特異な狂気の物語なのか?というとそうではないでしょう。確かにこの物語は異様であり、倒錯的ですが、それは現実のある局面をグロテスクなまでに極端に歪めて見せた情景なのだと言えるでしょう。そしてその歪めて見せた現実のある局面とは、「家族」の在り方であり「家庭」 の在り方なのです。
我々は「家族」にしても「家庭」にしても「それはこういったものである」という漠然とした認識を持っていますが、もちろんそれは個々の「家族」の場ではそれぞれが異なり、場合によっては大きく異なります。地方や国が違えば見る人によってはカルチャーショックを起こすような家庭なり家族の在り方もあるでしょう。この映画ではその差異を極端化し、非常にうすら寒く、理解不能の物として描くことで、我々が「家庭」なり「家族」なりについて認識し、そしてそれが「常識」だと思っているような事柄は、実は大なり小なりいびつで醜くて偏っていて、他者から見るなら滑稽で薄気味悪い認識でしかないのだ、ということを底意地の悪い視点で語っているのです。
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