「愛」という名の強迫観念/ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』を読んだ

■ロリータ / ウラジミール・ナボコフ

ロリータ (新潮文庫)

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。…」世界文学の最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説であると同時に、ミステリでありロード・ノヴェルであり、今も論争が続く文学的謎を孕む至高の存在でもある。多様な読みを可能とする「真の古典」の、ときに爆笑を、ときに涙を誘う決定版新訳。注釈付。

ロシア生まれの文豪・ウラジミール・ナボコフが書いた長編小説『ロリータ』は少女への性的嗜好を指す俗称である「ロリータ・コンプレックス(=ロリコン)」の語源ともなった物語である。この「ロリータ・コンプレックス」は和製英語であり、海外では「ロリータ・シンドローム」などと呼ぶのらしい。オレ自身は少女なるものに性的興味は無いし、ロリコンというものにも関心はないのだが、今回この『ロリータ』を読んだのは、「そういえばスタンリー・キューブリックが映画化してたなあ」といった程度の理由からだった。

『ロリータ』は主人公である中年ヨーロッパ紳士ハンバート・ハンバート(ふざけた名前!)が獄中で書いた手記という形で物語られる。ハンバートは少年の頃に恋していた少女の死により、成人後も「少女」への執着が捨てきれなかった。そんな時出会ったのが12歳の少女ドローレス・ヘイズ、通称ロリータだった。ハンバートはロリータに近づくためその母親である未亡人シャーロットと結婚、彼女が事故死した後にロリータと遂に思いを遂げ、それからアメリカ中を車で彷徨うことになる。

12歳の少女に性的執着を抱き、その少女をかどわかして性交渉を持ち、飴と鞭を使いながら拘束しつつ全米中を連れまわす男ハンバート、彼は常識的な範疇で言うなら変質者であり性犯罪者であり傲慢で自己中心的な卑劣漢である。そんな男が自らの行為を正当化しながら書き綴った手記はさもおぞましく唾棄すべきものであったかというと、なんとこれが真逆だったのだ。うわべだけ見るなら変態小説でしかない『ロリータ』は、そのあまりに高い文学性と芳醇極まりない文章により、第一級の世界文学として完成していたのだ。

『ロリータ』の物語は類い稀な言語表現の在り方により読む者を徹底的に酔わせてゆく。『ロリータ』における文章は稚気と諧謔に富み、豊富な語彙と広範な引用と絶妙な暗喩隠喩がそこここに躍り、その言い回しと言葉遊びの技からは高い知識と知性が閃光の如く発露し、そしてこれらが高純度に煮詰められ香しくもまた濃厚な表現としてページを埋め尽くし、あまつさえ軽やかなリズムを刻む音楽的な文章となって顕現しているのだ。オレはそれほどの本読みではないが、ここまで完成度の高い技巧性を持った文学作品を読むのは初めてかもしれない。

そしてこれら「高い文学性」を持った文章が、主人公である変態親父ハンバートが少女ロリータの魅力にだらしなくアヘアヘと悶絶する様を描くためのみに奉仕している、という部分に於いてまた凄まじい、おそろしく風狂に過ぎる文学なのだ。内容は確かに倒錯的なものであるにも関わらず、その文章の妙があまりにも素晴らしいがゆえにその倒錯性すらも受け入れさせられてしまう、その構造自体が倒錯的な作品とも言えるのである。

そしてまた、主人公ハンバートを単なる変態親父と断罪し否定しそれで善しとできるのか、とも思うのだ。ハンバートの行状はもちろん反社会的でアンモラルなものではある。しかし時として文学は、その反社会的でアンモラルな行状の中から人間存在が抱える懊悩の深淵を抉り出すものなのではないか。なんとなれば小説『ロリータ』は、全てが「愛」と言う名の強迫観念と、それを抱えた者の懊悩についての物語だとも言えるのではないか。

小説『ロリータ』は、その恋愛対象が「12歳の少女」ということを念頭から消し去れば、物語的には実に当たり前の恋愛小説として読めてしまうのだ。確かにハンバートの恋はエゴイスティックなものでしかないが、エゴイスティックな恋など世に履いて捨てるほどあるだろう。ただその対象を「12歳の少女」とした途端に、物語は突然「愛」という感情が時として抱える独善性と、「愛」それ自体が強迫観念化した執着の産物である事を丸裸にし、ひりひりとした痛痒感に満ちたものとして提示してしまうのだ。それはハンバートの「愛」が捻じ曲がった、歪んだものだからこそ、マーキングされ強調表現されたものとして可視化されてしまうのである。

そして、捻じ曲がり歪んだ愛であるにもかかわらず、ハンバートがその窮極に於いて、自らの抱く愛の熾烈さを見出すシーンがどこまでも美しく、心切ないのだ。この引用部分は物語のまさにハイライトとでもいうべき部分である。

そして私は何度も、何度も彼女を見つめ、自分がいつかは死ぬ運命なのを知っているのと同じくらいはっきりと知った、私がこの地上で目にしたどんなものや、想像したどんなものや、他のどこで熱望したどんなものよりも、私は彼女を愛しているのだと。(P494)

ハンバートの「愛」は「愛」なのか、それとも単なる倒錯であり犯罪でしかないのか。実はそんなことはどうでもいい、なんとなればそれらは強迫観念の名のもとに同質のものであると言い捨ててもいい。そうではなく、「愛」という感情をどうしようもなく抱えてしまう人間という存在の、その救いようのない痛苦と、どこか滑稽でもある懊悩の果てを、この物語は描き出してみせたのではないだろうか。そしてそれでも人は、「愛」に救いを見出そうとして止まないのだ。

(余談。この小説を読み終えてからやっとキューブリック映画化作品を観たのだが、公開当時の時代性のせいか性的にあからさまな表現を差し控えている為にテーマがぼやけ、「継父の継娘教育奮闘記」にしか見えないという残念な出来だった)

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