男気が救った多くの命〜映画『ソハの地下水道』

ソハの地下水道 (監督:アニエスカ・ホランド 2011年ドイツ・ポーランド映画


映画『ソハの地下水道』は第2次世界大戦中、ポーランドの町でナチスの手からユダヤ人たちを下水道にかくまっていた男を描く、実話に基づいた物語です。この物語で最も興味を引かれるのは、ユダヤ人たちをかくまう主人公の下水修理工・ソハが、社会の底辺で暮らす貧しい肉体労働者であり、もともとは別にたいした善人でもなんでもなく、こそ泥も平気で行うような男で、ユダヤ人の持つ金だけが目当てで彼らをかくまう、つまらない俗物でしかなかった、という部分でしょう。
ナチス・ドイツユダヤ人狩りからユダヤ人たちを守った人物の物語といえば、スティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』がまず真っ先に思い浮かびますが、『シンドラーのリスト』におけるオスカー・シンドラーは、最初は自らの工場の利益を上げる為にユダヤ人労働者を確保したいだけの功利主義者であったものが、その後次第に良心に目覚め、彼らの命を救うために尽力し始める、という人物でした。彼は実業家という立場と潤沢な財産を元に多くのユダヤ人を救うことになりますが、それに対し『ソハの地下水道』の主人公ソハは、社会的地位も財産も無く、さらにいってしまえば教育や倫理観にも少々乏しい人間であった、というのが非常に対照的です。
己の立場を利用し弁舌巧みにユダヤ人を救ってゆくシンドラーと違い、ソハはユダヤ人をかくまっていることが知られると即処刑です。映画でも度々ナチス協力者たちの追求によりあわや、というところでユダヤ人をかくまっていることが発覚しそうになります。にもかかわらずソハがユダヤ人たちをかくまっていたのはひとえに苦しい生活をユダヤ人からまきあげた金品で潤すため、そして、下水道修理工という仕事柄、地下に迷路のように張り巡らされた下水道の様子を知り尽くしていた、という強みがあったからこそです。
ナチス協力者の追及を恐れ、ソハは遂に地下のユダヤ人たちに「もうお前たちの面倒は見られない」と言い捨て全てを投げ出そうとします。しかしそんなソハは、困窮した地下のユダヤ人たちの姿を見て、もう一度かれらをかくまうことを誓います。この時、ソハの胸には善意が蘇ったのでしょうか。良心の呵責を覚えたのでしょうか。確かに、何ヶ月も面倒を見てきたユダヤ人たちに対し、それなりの同情や感情移入はあったでしょう。しかし、むしろ自分には、善意や良心というよりも、ソハという男が、一度やりかけたことを止めてしまいたくない、ある種愚直なまでに一本気な男だったからなのだと思えるのです。
それは、下水道修理工といういわば汚れ仕事を、文句も言わず黙々とやり続けてきた市井の男の、その忍従を善しとする生き方の延長であったのではないでしょうか。ソハはきっと、金だの命の危険だのを天秤にかけながら毎日過ごすよりも「ああもうああだこうだとメンドクセエ!四の五の言わずオレが全部面倒見るわ!」と、己の"仕事"を貫徹することを決断してしまったのです。それは一種の責任感と言ってもいいでしょう。ソハは決して高貴な人間になりたいわけでも、善行を尽くしたいと思ったわけでもない。しかし、己の負った責任は必ず果たしたい。そんなソハの一本気な男気が、結果的に沢山の人々を救うことになった。命の危険を顧みず、数々の苦難を乗り超え、暗く陰鬱な地下世界を通り抜け、ラストの晴れ渡った空の下で見せるソハの笑顔は、大仕事をやりとげた男だけが見せる歓喜に満ちた表情だったと自分は感じました。

ソハの地下水道 (集英社文庫)

ソハの地下水道 (集英社文庫)