音楽が支えたもの〜映画『オーケストラ!』

■オーケストラ! (監督:ラデュ・ミヘイレアニュ 2009年フランス・イタリア・ルーマニアベルギー映画


オレはクラシック音楽は全くの門外漢で、部屋には気まぐれで買ったCDが何枚かあるぐらいだ。それでも何故か子供の頃には家にクラシック音楽全集とかいうのがあった。それぞれには誰もが知るような有名作曲家の詳しいバイオグラフィーの書かれた本と33回転ドーナツ盤レコード2枚が付いた箱入りの大層な全集で、全部で12巻ぐらいはあっただろうか。子供の頃のオレの家庭は結構な貧乏暮らしの上、親はバリバリのブルーカラー(平たく言うと肉体労働者)だったが、どうも見栄っ張りの気質があり、ご大層なステレオ・セットが置いてあったぐらいだし、この全集も親が見栄で買ったか、どこかから貰ってきたものだったのだろう。それが証拠に親がもっぱら聴いていたのは演歌や歌謡曲ばかりだったしな。ただ、子供の頃のオレは訳が判らないなりにこの全集を全部聴いていた。実の所大半のクラシック音楽は退屈だったが、"交響曲"と名前の付いたオーケストラ音楽は、賑やかだったから結構好きだった。

映画『オーケストラ!』はロシアの劇場から始まる。ボリショイ交響楽団のしがない劇場清掃員として働く中年男アンドレイ(アレクセイ・グシュコブ)は、実は30年も昔、マエストロとまで呼ばれた主席指揮者だった。しかし彼は、ブレジネフ政権下のソ連時代、政府のユダヤ人音楽家排斥運動に反対して失脚させられたのだ。そんな彼はある日、事務所でパリからの楽団演奏依頼のFAXを盗み見、あることを思い立つ。それは、かつての楽団仲間を集め、ボリショイ交響楽団に成りすまし、パリで公演すること!そして散々なドタバタを繰り広げた挙句楽団仲間がやっと集まり、偽造ビザでパリに到着!だが彼にはもう一つの目的があった。それはパリで客演を依頼した女性若手ヴァイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)と会うこと。実はアンドレイとアンヌにはブレジネフ政権時代から引き摺るある因縁があったのだが、若きアンヌはその真実を知らなかった…。

成りすまし偽オーケストラのドタバタ・コメディ、最初オレはそんな映画だと思って観に行ったのだ。多分クライマックスは山あり谷ありの紆余曲折の果てにコンサートを大成功させてメデタシメデタシ、苦節30年の辛酸を舐めたけど、人生ってやっぱり捨てたモンじゃないね、そんなラストでほんわかさせて終わらせてくれる、笑いとペーソスの人間ドラマ。賑やかなオーケストラ・ミュージックも劇場の音響設備で聴けて、お得感もあるじゃないか。そんな映画だと思ってたし、確かにそういった演出もされた映画ではあった。かつての楽団メンバーが一筋縄ではいかない海千山千の曲者揃いで、おまけにロシアン・マフィアやら怪しいジプシー集団まで現れ、彼らの好き勝手な行動に主人公アンドレイが翻弄され頭を抱える様子には腹を抱えて笑わされた。そういった意味で非常に良質のコメディ映画であることは保障できる。けれども、この物語の核心にあるものは、それだけじゃなかったのだ。

それはロシアに住むアンドレイと、パリで活動する若く美しいヴァイオリニスト、アンヌとの隠された関係だ。30年前、ブレジネフ政権下のユダヤ人音楽家排斥をそもそもの発端とするこの物語は、コメディの笑いの裏に、ソヴィエト共産党時代に起きた惨い事件と悲痛な別れが存在していた。アンドレイはそこで起こった悲劇を決して忘れることができず、何年もの間彼を苦悩の中に陥れていた。それがアンヌとどんな関係があるのかがこの映画のもう一つのテーマとなるのだが、最後の最後まで明かされないその秘密が、クライマックスのオーケストラ演奏で見事に昇華される様は、音楽の圧倒的なドラマティックさと相まって、激しく心揺さぶられること必至だろう。演奏の只中、指揮棒を振るアンドレイ、ヴァイオリンを操るアンヌ、二人の間に言葉は無いけれども、語られるべき言葉は、全て音楽が代弁していた…。ああ、なんて心ときめかすシーンなんだ!

ここで演奏されるのがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35。恥ずかしながら全く初めて聴く曲であったが、その怒涛の如く奏でられるメロディの気迫に満ちた美しさは、クラシック門外漢のオレと言えども総毛立つものがあった。ヴァイオリニスト・アンヌを演ずるのがあの『イングロリアス・バスターズ』のメラニー・ロランで、彼女がまた匂い立つほどに美しい!今年観た映画の中でも大穴となるかもしれない『オーケストラ!』、クラシックに興味のない方も是非お薦めしたい作品です。

■オーケストラ! 予告編


オーケストラ!

オーケストラ!

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ちゃんと全部聴きたかったのでCDも買っちゃいましたよ!
チャイコフスキー&ミヤスコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

チャイコフスキー&ミヤスコフスキー:ヴァイオリン協奏曲