X-ファイル:真実を求めて (監督:クリス・カーター 2008年アメリカ映画)

■オレとX-ファイル

X-ファイル』といえば昨今のアメリカTVドラマ・ブームの草分けとなった大ヒット・シリーズであり、このオレも相当はまった覚えのある、実に愛着深いTVシリーズであります。

1993年から2003年までの9シーズンで製作された全201話、はい、全て観ました!それだけでは飽き足らず、レンタルで借りて観たものをビデオで買い直しDVDで買い直し何度も観かえしましたよ!当然の事ながら1998年製作の『X-ファイル ザ・ムービー』も観ておりますし、X-ファイル・ポスターだのマウスパッドだのも何故か所有していたりします。

さらにX-ファイル製作総指揮であるクリス・カーターが同じく製作した『ミレニアム』、『ハーシュ・レルム』『ローン・ガンメン』も全て視聴、『ミレニアム』に至っては全3シーズンのDVD-BOXもガッツリ所有しております。ええ、もう、『X-ファイル』はそれだけ好きだったTVシリーズだったんでありますよ。

■オレとオカルト

X-ファイル』はねえ、SFでもホラーでもない、いわゆるオカルトものとして好きだったんでしょうねえ。『X-ファイル』のルーツといわれているオカルトTVシリーズ『事件記者コルチャック』(1974年製作、日本での放映は1976年)もリアルタイムできちんと観ていました。あれもなかなかに面白いTVシリーズで、いつもドキドキしながら観ていましたよ。

子供の頃のオレはUFOとかUMAとかオーパーツとかサイキックとか幽霊話とか超常現象とか、そういう所謂"ムー系"のインチキ臭い話が大好きなガキだったんですね。矢追純一のUFOものも生唾飲み込みながら観てましたし、つのだじろうのオカルトマンガ読んで「UFOの編隊が地球の空を覆う日が近いうち来る」と本気で信じてましたね!

■観念の王国

ただまあ大人になるとそんな話しをいちいち真に受けないぐらいの分別は付いちゃうんですね。存在するとかしないとか、信じるとか信じないとかいう話が既に駄目だろ、と。あれっていうのは"なんだかグレーゾーンなもの"についての話ですが、"なんだかグレーゾーンなもの"は"なんだかグレーゾーンなもの"として現実とは別にするべきで、"なんだかグレーゾーンなもの"ばかりに興味がいくのは"なんだかグレーゾーンなもの"そのものよりも、受け取る側の現実の対処の仕方に偏ったバイアスがかかっているからじゃないのか、なんて思うのが理性的なモノの見方かなあ、ぐらいのことは分かってくるんです。

しかしそんなことを言いつつ、大人としてのオカルトの楽しみというのもあるわけです。それは荒俣宏が編纂し水木しげるが描くようなオカルトの大系(大元まで行くとコリン・ウィルソンの『オカルト』あたりまで行くのでしょうがこれは読んでません)、人間がその観念のみで構築した膨大なもう一つの世界、観念の王国としてのオカルトというものに、危険なものに触れるような奇妙な好奇心が湧いたりもするんです。それは人間の想像力や感覚というのは、なんと凄まじい物を創出してしまうのだろう、という畏れや驚異からです。ま、危険なのは重々承知なんで手は出しませんが。

■真実はそこにある

もう一つ、『X-ファイル』の面白さはアメリカという国の陰謀史観にありましたね。これもまともに追求するには危ない世界ですが、フィクションとして料理されるとUFOだのサイキックだのという話よりももっとオカルト的な話になりますね。言うなれば現実の状況の方がオカルトよりももっとオカルト的という言い方も出来るかもしれません。

今回の映画『X-ファイル:真実を求めて』は『X-ファイル』の根幹ともなっていたUFO絡みの陰謀史観はテーマになっていません。代わりに描かれるのは怪しげなサイキックと誘拐・猟奇殺人事件です。この事件が最後には『X-ファイル』らしい不気味な陰謀へと繋がっていくわけですが、それは観てのお楽しみという事で。UFO話は映画前作でやったし、このテーマもありかと思いますが、猟奇系のお話はなんだか『ミレニアム』と被って観てしまいましたね。

ただね。実はそんなことは瑣末なことでしかないんですよ。ファンとしてはあのテーマソングが流れて、モルダーとスカリーが現れて、怪しげな事件に翻弄されながら「真実はそこにあるんだああ」と頑張っちゃう姿があればそれでいいんですよ。初めて観る方にはどの辺が観所か、というと、やはり『X-ファイル』ならではのSFでもホラーでも猟奇犯罪物でもない、『ムー系』の物語の胡散臭さを満喫してくれればいいんだと思います。それにしても、今回はあのスキナー副長官も登場し、隠れスキナーファンとしては大いにときめきました。ああ、あんなセクシーなハゲオヤジなら、オレ、抱かれてもいいかな(オイ)。