ドックである。人間ドックである。齢40を超えるとそれは不惑の時であると同時にお肌ならぬ健康の曲がり角なのである。
思えば日々睡眠時間を削ってのテロリスト並びに火星人殺戮ゲームに勤しみ、一エントリ1200字を超える日記を書き続け、浴びるほどビールを飲み馬のようにピザを食い、トウガラシ畑1ヘクタール分ほどのペッパーソースを胃に流し込み、休みの日であっても何処へ出掛ける訳でもなく血塗れホラーのDVDをどんよりとした眼で鑑賞し続け、ブラ子momokoらお人形さんと倒錯的な着せ替えプレイに終日を潰す、社会も世界もオラ知らネ!というアナーキーかつマザーファッキンな毎日を送る人の道を外れた極道よりも極道なオレにとって、「健康」の二文字は「愛」や「平和」と同じ程度に便所紙ほどの価値も感じていない言葉だったのである。
そんなヤクザなオレ様が人間ドックとは。人間変われば変わるものである。ひょっとして今日は「アルマゲドン」と「インデペンデンス・デイ」と「ディープ・インパクト」と「セカンド・インパクト」が同時に起こるかもしれない。安寧な日々は何時までも続くものではなく、軍事コンピューター《スカイネット》が世界に原子の炎を降らせる日は今日であってもおかしくはないのだ。
といういつもの無意味な長弁舌はさておいて、なにしろ人間ドックである。精密検査付きの健康診断である。
《人間ドック》とはナニよ?ということを改めてウィキペデさんにお伺い立ててみると、
語源について作家の山田風太郎は、明治・大正期の軍人大山巌が「人間も船と同じで時々ドックに入って検査しないといかん」と言っていたことを「人間臨終図巻」の中で紹介して「人間ドックという言葉の由来は大山かもしれない」と書いている。ただし大山の言葉が確実な語源であるという裏付けはない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF
などという記述があるではないか。山田風太郎で「人間臨終図巻」である。オレの日記もたまには知的に展開してみたりもするんである。
まあいい。
そういう訳で今日オレは人間ドックに行ったのである。一応昨日は8時までに夕食を済ませ酒も飲まず飲み物も摂らず、きちんと寝たのだが夜中に目が覚めてしまいこっそり日記にコメント書いてたりして結局寝たのは3時ごろであった。大体昨日を除けばずっと風邪のまま酒喰らって夜更かししていたという神をも恐れぬ不敵な日々を送っていた。ってかナメてんのかもしれない。
今日は8時半に病院だったが遅刻して入り、検便して血ィ取って血圧計って体内脂肪計って目だの耳だの検査して心電図撮られて超音波当てられてバリウム飲んでX線浴びて下剤飲まされてきたのである。最後は病院のレストランで健康メニューのお食事も戴きました。ここ数週間で最もマトモなもの食いました。
さて午後からは結果の発表!である。結果次第では即入院!という罰ゲームも用意されているというから油断は禁物だ。
順番が来て医者に呼ばれレントゲン写真やらなにやら見せられる。「心電図異常ありません。コレステロールも標準値。食道、肺、胃、全て綺麗ですね!いやー、この胃は丈夫そうですねえ。」当たり前だ。この胃はフランスの酪農業者とイタリアのトマト農園とメキシコのトウガラシ農園と北海道の麦・ホップ農園のお百姓さんたちの生活を一手に引き受けている偉大な胃なのである。これからははてなIDをグローバルヘッドではなくグローバルストマックと変えたいぐらいである。しかしやっぱりちょっと体重と肝臓は気ィつけなあかんでぇ、とは言われた。ここだけ関西弁なのは特に意味は無い。あと腎臓に良性のポリープがあったらしい。これはそのうち消えるでしょうとの事。
という訳で晴れてこの不健康野郎はとりあえず健康ということになったのであった。これも日々の徹夜と暴飲暴食の賜物である。逆か。多分オレの体というのは割と頑丈に出来ているのであろう。人間が単純だと構造も単純なのだとも言える。下等動物並みなのである。ただ問題は知性も下等動物並みだという事だがな。脳の検査が無いからこれだけは発覚しなかったのであった。頭の検査をされたら社会不適応者としてジャンルの別な病室に入院させられたかもしれない。
とまあ不埒な事を書き飛ばしましたが、これでも一応歳は感じているので、やり過ぎないように生活して行こうかと思います。だからあんまり心配しないでね。でわでわ。
さ、酒飲もっと。