オレ的音楽史 PART 3

人に歌あり。そして人に歴史あり。(お約束)
たいしたメリハリもないまま3回目になってしまいました。今回で終わってくれるんでしょうか。
ボスキャラ、ザ・スミス
なぜボスキャラなのか。それは、このバンドがオレにとっての最後の強敵だったからである。
ザ・スミス。1982年、イギリス、マンチェスター(ああ、ここも工業都市だ…)で結成。1984年、1stアルバム発表。文学的な歌詞とソリッドかつ繊細なギターサウンドで一世を風靡する。イギリスはこのバンドの出現に驚愕し、そして沸いた。この時代の最強のギター・ロック・バンドだった。
歌われるテーマは儚く脆い希望、底意地悪く居座り続ける不安と絶望。音もすごかったが、何よりボーカルのモリッシーの存在感がすごかった。何しろ最初「なんて不細工な男だろう」と思った。ルックスなんて全然いけてないんですが、否定的で情けなくて弱弱しくて自意識過剰で、歌詞は棘だらけで皮肉で冷笑的で自嘲的で、もう聴く者の「駄目部分」を背中に全部しょってヘニョヘニョになりながら歌うという、駄目人間の為のイエス・キリストみたいな男だった。情けない男。ひたすら情けない男をモリッシーは演じていた。
叩きのめされました。彼が歌うイケてない間抜な田舎者が、全部自分のことを歌っているかのように感じた。自分と云う人間が、卑小で無意味な自尊心にぶら下がって、世間や周りの人間を馬鹿にしながら、でも結局やってることはさもしい自己保身と自己疎外でしかないんだということを、彼の歌はあからさまにしてしまった。
「そんなに君が頭が良くて面白いやつで、素敵な人間だって言うのなら、なぜ今日、この夜に、君は一人ぼっちなの?君の馬鹿にしている連中が友人と語り合い恋人と楽しんでるこの夜に。」(I Know it's over)
「昨日の夜、誰かに愛されてる夢を見た。希望もない、絶望もない。みんなつまらないこけおどしでしかない。教えてよ、何時になったらこんなことが終わってくれる?」(Last Night I Dreamt That Somebody Loved Me)
生活のほうも真面目に煮詰まりまくっていた。学校を辞めたあと、目的もなく、アルバイトをしながら無為に過ごしていた生活。責任もなく束縛もなく、そして希望もなかった。そしてこれ以上モラトリアム生活を続けると自分は本当にドロップアウトするしかないんだな、と思った。社会はオレなんぞいなくても、今死んだとしても、お構いなく存在し続けるが、オレは社会がなければ生きていけないのだ、と思い知った。
自分と向き合って、でも結局下らない自分しか見えないのは辛かった。鏡に向かって文句を言ってるみたいなもんだ。もう御終いにしよう。就職して真っ当に生きよう。下らない人生をへいこらしながら、へらへら笑いながら生きよう。そして、観念ばかり無意味に膨らんでいくばかりの、こんなロック・ミュージックなんかとは、もうおさらばするんだ。音楽で、自分を追い込んでいくのはもうよそう。そして、明るく生きよう。
スミスの、モリッシーの歌声に追い詰められたオレは、自分の生活だの人生だのをもう一度考え直すことにした。
ザ・スミス、1987年、解散。そしてこの頃から、オレはロックを聴かなくなっていった。

(続く。…って、聴いてねーよ!ホントに続くのかよ!)