■偽装結婚の顛末〜映画『Mr & Mrs '55(55年夫婦)』(監督:グル・ダット 1955年インド映画)
懊悩と憂愁が売りの(?)グル・ダットは実はコメディ作品も撮っていたらしい。1955年に公開されたこの『Mr & Mrs '55』は偽装結婚を巡る男女のすれ違いを描いたロマンチック・コメディということになる。
物語は両親を亡くしたアニタ(マドゥバーラー)が父の遺言状を受け取ったことが発端となる。それには「20歳の誕生日から一か月以内に結婚せねば遺産相続は無効となる」といった旨が書かれていた。これを読んだ女権運動家の叔母(ラリター・パワール)は「結婚なんて女を縛るだけの遅れた習慣!でも遺産は受け取りたいから、適当な男と結婚させてすぐ別れればいい!」と計略を練り、売れない漫画家のプリータム(グル・ダット)を雇う。しかしアニタとプリータムは既に一度出会っており、お互い気を惹かれるものを感じていたのだった。さて偽装結婚の顛末やいかに?というもの。
物語は1955年にインドで成立した「離婚法」を風刺したものなのらしい。だから「55年のミスターとミセス」という変なタイトルだというわけだ。逆に言うなら、それまでインドでは離婚自体が難しかったということなのだろう。離婚はしないならしないほうがいいのだが、そこは男女の仲、止むに止まれぬ事情というのは幾らでもあるし、さらにインドなら古い因習で特に女性の人権ががんじがらめになっていたということは十分あったのだろうから、これはこれで近代国家インドとして当然の新立法である筈だ。しかしそこに見てくれからネガティヴに感じさせるオバン臭い女権運動家を絡め、その離婚法を茶化そうというのだからどうにも志が低い物語に思えてしまう。
ただしそういった背景を無視するなら、「結婚したくない女性が遺産目当てに偽装結婚」という設定は十分にアリではある。そしてその偽装結婚から真の愛が芽生えてしまう、という流れも悪くはない。だがこの物語は、「わあわあ騒ぐけれど結局女が幸福になるには結婚しかない」という落とし所にしかなっていない部分にやはり時代の古臭さを覚えてしまう。いや、愛と結婚が一番でもいい。でもそれを女にだけ押し付けて、男の側がそれみたことかとしたり顔をしているのがどうも気に食わない。
実の所、愛があったにもかかわらず偽造結婚を承諾してしまったプリータムも十分に傷ついていて、そんな自分が許せず偽装結婚の承諾金として用意された金も受け取らないままアニタから身を引くのはバランスはとれているけれども、結局わあわあ騒いだのは女の側だけで、男の側はなんだか格好良く身を引いちゃうという部分に、監督グル・ダットの決して自分の手を汚そうとしない気取った態度がうかがわれるんだよな。まあナルシストだからしょうがないか。いやしょうがなくないぞオイ。
■没落貴族の憂愁〜映画『Sahib Bibi Aur Ghulam(旦那様と奥様と召使い)』(監督:アブラール・アルヴィー 1962年インド映画)
廃墟となった屋敷の解体作業を監督する男。男にかつて栄華を誇っていたこの貴族の屋敷に召使いとして従事していた。貴族はなぜ没落したのか。
インド映画黄金期の巨匠監督の一人、グル・ダットは最後の監督作『Kaagaz Ke Phool(紙の花)』(1952)の失敗をきっかけに監督業から遠のき、その後数作の映画作品に俳優として携わった後1964年に39歳の若さで命を絶つ。1962年に公開されたこのモノクロ作品『Sahib Bibi Aur Ghulam』は晩年のグル・ダット主演作のひとつであり、監督としてアブラール・アルヴィーの名が挙がっているが、研究家によると実質グル・ダットが監督した作品なのだという。
物語は19世紀末、イギリス統治下のカルカッタが舞台となる。この地に佇む豪奢な封建地主の屋敷に、ブートナート(グル・ダット)と呼ばれる男が使用人としてやってくる。彼の目に貴族の生活は眩しく映ったが、実は主人は毎夜踊り子の館に出掛け放蕩三昧であり、その妻チョッティ(ミーナ・クマリ)は孤独に身を苛まれていた。ブートナートはそんなチョッティのよき話し相手となったが、夫の気を引くため酒に手を出したチョッティは、次第に酒に溺れてゆくようになるのだ。
この作品は一人の男の目を通して描かれたインド近代末期における貴族階級の退廃と彼らの時代の終りを描いた作品であり、いわゆる"滅びの美学"とも呼べるような腐臭漂う美と陰鬱さとが漂う物語である。ビスコンティの『山猫』、ルノワールの『大いなる幻影』とも比する作品、ということらしいが、残念ながらオレはこの両作を観ていないので何とも言えない。ただし作品全体を覆う破滅と喪失感は実にグル・ダットらしい。
こういった"貴族社会の終焉"を看取る目として登場した主人公ブートナートは、身分は低いものの勉学により身を立て貧しさを乗り越えていった男であり、黎明期の現代インドが期待する新たなインド人の象徴ということになるのだろう。没落貴族夫婦が悲劇の渦に飲み込まれてゆく一方、ブートナートはワヒーダ・レーマン演じる娘ジャバとロマンスを育んでゆくのだからどうにも対照的である。
それにしてもグル・ダット作品に何作か触れてきたが、どの作品もあたかも彼自身のナルシスティックな破滅願望を体現したかのような鬱蒼とした暗さがまとわりついており、インド映画巨匠と呼ばれるのは知ってはいても、どうもあまり好きになれないし持ち上げたくないのも確かである。なんかスカッとしない奴なんだよなあグルちゃんってば。