■紙の花 (監督:グル・ダット 1959年インド映画)
『紙の花』は妻子ある映画監督が主演女優との不倫を疑われたことで転落するというメロドラマである。監督・主演を50年代ヒンディー映画界の巨匠と呼ばれるグル・ダットがつとめるが、この作品は彼の最後の監督作品ともなっている。ヒロインは数多くのグル・ダット映画に出演しているワヒーダー・ラフマーン。
《物語》主人公スレーシュ(グル・ダット)は人気映画監督だったが、私生活では離婚した妻と娘の親権を巡り心を悩ませていた。彼はある日雨宿りした時にシャンティ(ワヒーダー・ラフマーン)という女性と知り合い、彼女を自作の主演女優として抜擢する。シャンティは一躍スターとなるが、事故で怪我をしたスレーシュの看病に一晩付き添ったことを不倫と疑われスキャンダルとなる。しかしシャンティがスレーシュに思いを募らせていたのは確かであり、スレーシュもそんな彼女の気持ちを知ってはいた。だがそのスキャンダルからスレーシュには階段を転げ落ちるように不運が続く。親権は元妻に奪われ、新作映画は大不評で、映画会社からはクビを言い渡される。破滅したスレーシュは世間から身を隠し酒に溺れてゆく。
物語はひどく個人的であるのと同時に内省的だ。主人公は常に無口で繊細であり傷つきやすい。これはこの物語が監督であり主演であるグル・ダットの個人的な内面へと肉薄した内容だからだろう。言ってみれば『紙の花』はグル・ダットの私小説的な映画なのだ。そこには映画の世界に身を置く彼の恐れと願望が交差している。それはひどくナルシスティックなものであるが、美しく描かれた映像にはそれへの自負さえ感じさせる。そしてこの作品はこの後の彼の運命すら予見した物語となっている。映画ヒロインのワヒーダー・ラフマーンとは実際に不倫関係にあったらしく、さらにそれまで巨匠と謳われてきた彼はこの作品において興行的に失敗し、監督を廃業したままその後数作の映画作品を主演・製作した後、1964年、39歳の若さで自死している。
この作品は一人の男の破滅を描いたものだが、その破滅の予感は冒頭彼の撮っていた作品があの『Devdas』である部分で既に暗示されている。叶わぬ愛に引き裂かれ、酒に溺れて自滅するデーブダースは、そのまま主人公スレーシュの運命と重なるのだ。同時に、『Devdas』に登場する愛しい人パロと娼婦のチャンドラムキーという二人の女は、この作品における主人公スレーシュの愛しい娘と、新人女優シャンティとに重なることになる。この作品は「不倫によって破滅した映画監督の物語」と紹介されがちなのだが、自分は実際には「不倫未満」としか見えなかったことを考えると、主人公の心を直接的に引き裂いたのは実は「結婚を認められなかった愛しい人パロ=親権を認められなかった愛しい娘」だったのではないか。そうすると新人女優シャンティは娼婦のチャンドラムキーであり、それは「たまさか主人公の心の慰めではあったが決して運命を変えることのできなかった女」ということになるのではないか。主人公スレーシュはシャンティの愛を知りつつそれを頑なに拒んでいたのだが、この作品がこういった構造であるとすると理解できる行動なのではないか。
この作品はあたかも監督グル・ダットの未来を予見したもののように見えてしまうが、当時圧倒的に支持されていたという彼が自らの破滅を本当に予知していた筈もなく、むしろこの作品が『Devdas』との二重構造になっているが故の破滅の物語として観るのが正しいのではないか。とはいえ、そもそもの原作が人気小説であり、『紙の花』完成前の1955年の段階ですら3度も映画化されていたという『Devdas』の主人公に自らの分身とも言える監督業の男を重ね合わせるというこの物語、実はグル・ダットのナルシシズムが大いに炸裂した作品だったともいえないか。破滅願望に満ちた主人公の姿は彼のナルシシズムを耽美に刺激したのだろう。グル・ダットはその透徹した映画技法により「インドのオーソン・ウェルズ」とまで評されているらしいが、作品内にそのオーソン・ウェルズのポスターを持ってくる部分でまたしても彼のナルシシズムを感じてしまう。
とはいえ、だからこそと言うべきか、この作品は、グル・ダットのナルシシズムの裏付けとなる美意識が画面の隅々、物語の隅々を席巻するひたすら美しい作品になっていることは否定しようがない。「インド映画初のシネマスコープ作品」という部分にもこの作品への多大な意気込みを感じるし、相当の自負を持って世に送りだした作品だったのだろう。オレ自身はグル・ダット作品といえばもう一つの代表作『渇き』しか観ていないのだが、この『紙の花』のほうにはるかに感銘を受けた。それは自らの分身とも言える男を主人公とすることで、グル・ダット本人の内面をどこまでもさらけ出した作品となっているからなのだろうと思う。それは彼自身の弱さ、世界への居心地の悪さをあからさまに描いていることであり、同時にそれらを芸術的に描くことのできる資質を高らかに謳歌しているからだ。そんな己の内面全てをさらけ出した作品が大コケしたらそりゃまあ立ち直れんわな…とは思うが、もちろんこれは作品の完成度の問題では全く無く、この作品と当時の観客の嗜好が運悪く噛み合わなかったゆえの不幸としかいいようがないのだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=MZ3S4-bm70s:movie:W620
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