昏睡状態の伴侶を持つ二人の男女の出会い〜映画『Waiting』

■Waiting (監督:アヌ・メーノーン 2016年インド映画)


病院の待合室で知り合った歳の離れた二人の男女。彼らはそれぞれに昏睡状態の伴侶を持ち、不安と悲嘆の中ただ「待つ」ことしかできなかった。2016年にインドで公開された映画『Waiting』はこの二人を通し、ままならない人生のある局面を描く優れた人間ドラマである。主演は『マルガリータで乾杯を!』(2014)、『Yeh Jawaani Hai Deewani』(2013)、『Zindagi Na Milegi Dobara』(2011)のカルキ・ケクラン、『Welcome Back』(2015)、『Finding Fanny』(2014)、『The Dirty Picture』(2011)のナスィールッディーン・シャー。監督は『London Paris New York』(2012)のアヌ・メーノーン。

《物語》広告代理店に勤めるターラー(カルキ・ケクラン)は夫の交通事故の連絡を受け病院に駆けつける。そこには頭部に大怪我を負い昏睡状態の夫がいた。予断を許さない状況に医者は色よい返事をしない。悲嘆に暮れ待合室で夜を明かそうとするタラはある高齢の男を見つける。医者だと思い問い詰めたタラに、その男シヴ(ナスィールッディーン・シャー)は笑顔で否定し、自分は心理学教授なのだと告げる。そして、彼の妻が数か月前脳溢血を起こし、昏睡状態のままこの病院に入院しているのだと語った。同じ境遇にある二人は、それぞれの葛藤と悲しみの中、この状況をどう乗り越えるべきか、少しづつ対話を重ねてゆく。

人生には、待つことしかできない局面がある。それはスーパーの行列で待つとか、数週間後の宝くじの発表を待つとか言う次元の問題ではない。全てが保留となり、一切手を出すこともできず、ただ押し黙り、身じろぎすることも叶わず、いつまで待たなければならないかを知ることもできないまま、気まぐれな運命の采配を待つしかない局面の事だ。なにより人は、その行動において、自らの決定権が無いことが最も苦痛なのだという。自らの決定権が無いこと、それは自らの手足を奪われることと一緒だ。人はその時、いつとも知れぬその日まで苦悶の叫びを上げ続けるのか。それともなすがままにと諦め、薄ぼんやりとした絶望の中に沈むしかないのか。

映画『Waiting』は、そのタイトル通り、待合室で出会った男女の、待つことしかできない状況を描いた作品だ。そしてその状況において表出する、ありとあらゆる感情を描き出した作品でもある。ターラーは最初、混乱と恐怖の中にいる。一方シヴは、諦念と受容の中にいる。この時シヴは、ターラーにE・K・ロスの「5段階の死の受容プロセス」を語る部分が興味深い。「5段階の死の受容プロセス」とは、人が死に際してそれを受け止めるまでのプロセスのことだ。それは「否認・隔離」から始まり、「怒り」「取引」「抑鬱」、そして最終的に「受容」へと続くものだ。二人は、死に瀕したそれぞれの伴侶に対して、このプロセスにある感情を体験してゆくことになるのだ。

だがこの物語は、決して「5段階の死の受容プロセス」を説明するための物語ではない。主人公二人のそれぞれの伴侶の容態は、物語が進むにつれ刻々と変化し、それにより主人公二人の感情もまた刻々と変化してゆく。最初絶望だったものが希望に変わり、諦念だったものが怒りへと変わってゆく。そして二人の立場も刻々と変わり、最初慰め役だったシヴがいつしかターラーに慰められるようになってゆく。このようにこの物語は、困難な状況におかれた人間の、その感情の発露の様を縦横に描き、それと同時に、そのような状況の中で、人は何によって困難を乗り越え、何によって救われるのかを描き出してゆくのだ。そしてそれは、つまるところ、心の絆なのである。

このような物語を演じ切った主演の二人が素晴らしい。カルキ・ケクラン演じるターラーは冒頭能面のようなきついメイクで登場し、彼女にとって現実とは戦うべきものであることを観客に印象付ける。しかしその彼女がなすすべもない現実に心折れ、変節してゆくさまをケクランは圧倒的な演技力で見せてゆく。ケクランはエキセントリックなインド女優だが、だからこそこの作品を湿っぽいものにしなかったのだと思う。一方ナスィールッディーン・シャー演じるシヴは最初悟りきった好々爺として登場し、タラに安心感を与える。だが現実の冷徹さに、彼の心は次第に怒りに満ちてゆく。ここでのナスィールッディーンの、悲哀溢れる演技がまたもや素晴らしい。

この作品の二人の演技は、これまでのベストアクトのひとつであり、彼ら以外の俳優が演じる『Waiting』など考えられないほど役にはまりきっていた。そのテーマの在り方、そして演者の充実ぶりから、映画『Waiting』は2016年上半期に公開されたボリウッド映画の傑作中の傑作として要注目の作品であることは間違いないだろう。