今年面白かったインド映画

今年もいろいろ面白いインド映画を観たが、ここではとりあえず「今年DVDや劇場で観た2015年〜2016年製作のインド映画」ということにしておきたい。その為「去年観た2015年製作のインド映画」はカウントされていない。そちらのほうは去年ブログで書いたオレ的インド映画2015年度作品《暫定》ベストテン!! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミを参考にされたい。歴史もの、ボディダブル・ストーリー、スポ根、恋愛、コメディ、アクション、実録ものと割とバランスよく選ぶことができたように思う。実のところ2016年のインド映画は実録ものが多くてかなり辟易していたことは否めず、個人的には低調だったように感じる。

■Bajirao Mastani (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 2015年インド映画)


歴史上の人物の悲恋を描いたバンサーリ監督による豪華絢爛歴史絵巻。どこまでも煌びやかなその美術はまさに一級品の輝きに満ち、2015年公開インド映画の屈指の名作と言ってもいいだろう。必見!

『Bajirao Mastani』の本当の見所は、究極まで高められた豪華絢爛たる美術にあると言っていい。その贅沢極まる衣装、衣装を飾る宝飾の輝き、そして威容を誇る宮廷の作りとそれを飾る煌びやかな内装、さらに美しい歌に合わせて踊られる魂をも蕩けさすダンス・シーン、それらを写す完璧に計算されつくしたカメラアングルとカメラワーク、全ては【美】そのものに奉仕するために作られたと思わせる様な壮麗たる映像に包まれているのだ。監督であるサンジャイ・リーラー・バンサーリーはそもそもがその映画作品の美術に徹底的にこだわる男として知られており、出世作『Devdas』(2002)にしてもオレの愛して止まない作品『銃弾の饗宴 ラームとリーラ』(2013)にしても、なによりその美術に目を奪われ感嘆させられる作品だった。そしてこの『Bajirao Mastani』は、そういったバンサーリー映画、バンサーリー美術の集大成であり最新の進化形であると言うことができるのだ。
絢爛たる映像に包まれたバンサーリ監督による歴史映画大作『Bajirao Mastani』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Prem Ratan Dhan Payo (監督:スーラジ・バルジャーティヤ 2015年インド映画)


同じ豪華絢爛でもこちらは現代を舞台にしたインド貴族と普通の男のボディダブル・ストーリー。最近見かけなくなった王道の家族ドラマだが、だからこそ大いに安心して観られる鉄板の娯楽作。

贅を尽くした絢爛豪華なインドの宮殿、そこに暮らす煌びやかな衣装のインド貴族たちの物語。映画『PRDP』はこんな、あたかもアミターブ・バッチャン主演の『家族の四季 愛すれど遠く離れて』のような古式ゆかしいトラディショナルなインド家族ドラマが再演されたものを予想させます。そしてその物語は日本でも公開された某有名大作や『Rowdy Rathore』、はたまた『Humshakals』といった、インド映画では割とよく見かける「そっくりさん登場!」なボディ・ダブルネタでもあるんです。こういった部分から、斬新さよりもインド人映画観客のお馴染みの要素を散りばめ、安心して観られるオールドスクールな大衆娯楽作品を目指した作品なのだろうなと思わせます。さらに主演がインド映画界屈指の大ヒット・メーカーであるサルマーン・カーンでヒロインがソーナム・カプール。こういったコンサバティブな要素で構成された物語であるからこそインドで実際に大ヒットしたのも頷けるし、確かに相当に面白く出来ているのは間違いないのですが、しかし物語を見守っているとそれだけではない作品であることも段々と気付かされてくるんです。
インド貴族の屋敷を舞台にしたボディダブル・ストーリー〜映画『Prem Ratan Dhan Payo』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Sultan (監督:アリー・アッバース・ザファル 2016年インド映画)


こちらも王道直球のスポ根ムービー。たっぷりと詰め込まれた娯楽要素と素晴らしい俳優たちの演技でどこまでも熱くさせる!

ここには娯楽作品のセオリーが全て詰まっている。それは悪く言えば予測可能の予定調和的な物語ということだが、良く言えばとことん安心して観られる作品ということだ。物語は雄々しく力強く、栄光と失墜があり、そして再生がある。確かな愛と移ろいゆく愛があり、それでも愛は勝利する。笑いがあり涙があり、そしてインド映画ならではの煌びやかな歌と踊りがある。お代の分きっちり楽しませて、上映終了後は晴れやかな顔で満足しながら劇場を出られる。驚きや考えさせられることはないかもしれないが、こと楽しさに関しては格別だ。今回の『Sultan』に関してはそんな映画なのだと思う。そしてオレも十分満足した。しかもこれは天下のサルマーン映画、それを日本でこうして観られる。もうすっかりお祭り気分だ。とても素晴らしいことじゃないか。
あるレスラーの愛と栄光、失墜と再生の物語〜映画『Sultan』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Tamasha (監督:イムティヤーズ・アリー 2015年インド映画)


旅先で出会った男女の恋を描きながら、「自分って何だろう?」と答えを求める男の人生の物語でもある。風光明媚なロケーションが醸し出す明るく爽やかな物語。

こうして映画『Tamasha』は一見ロマンス作品の体裁を取りながら、その中に「自分はどうやって生きていきたいんだろう」という問い掛けを織り込んだ作品として完成している。作品の中で出会いと別れを体験するランビールとディーピカーは非常に複雑な感情を演じ彼らのベスト演技だったのではないか。かつて二人は交際していたという話だが、そのせいか演技における息の合い方が絶妙であり、そしてまた見せる表情がどれも自然で、だからこそ映画を観る者は二人の感情に自然に入って行ってしまう。ロケーションである冒頭のコルシカ島、クライマックスの東京、全てが美しい。それにしてもやはりインド映画は凄い、作品テーマの持つ複雑さと豊潤さ、生に対するあくまで前向きな態度、幸福へと帰結するための試練との対峙、そして画面に溢れる明るい色彩、この全てを包括する大いなる肯定性、これらは歌や踊りだけではないインド映画の大きな要素であり魅力だろうと思う。映画『Tamasha』もそうした魅力溢れる作品だと言っていいだろう。傑作である。
ハートを持ったロボット〜ランビール・カプール、ディーピカー・パードゥコーン主演作品『Tamasha』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■A Flying Jatt (監督:レモ・デスーザ 2016年インド映画)


ヘッポコヒーロー見参!のアクション・ヒーロー・コメディ。これは大いに笑わされた!

この作品の大きな魅力はまずそのコメディ・センスにあります。それも言葉のギャグや泥臭いドタバタやお下劣さによるものではなく、「スーパーヒーローとかいうみょうちきりんなもの」それ自体の可笑しさです。そもそもスーパーヒーローなんてよく考えたら妙な存在です。人智を超えたパワーを持ってるけれど神でも悪魔でも無く人間なんです。だからフライング・ジャットは正義を行ったりもしますがとっても人間臭くで、ドジ踏んだり、忙しくでゲンナリしたり、「なんかオレ、けったいやわぁ」と神妙な顔をしたりもします。最初なんて空を飛べても地上1.5mぐらいを時速3、40キロでしか進まなかったりするスーパーヒーローですよ?家族が不死身なのを面白がってナイフでブスブス刺してくるんですよ?おまけにその家族がコスチュームにああでもないこうでもないとうるさく注文つけまくるんですよ?
弾よりも速く、力は機関車よりも強く!インドのスーパーヒーロー、フライング・ジャット登場!?〜映画 『A Flying Jatt』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Baaghi (監督:サッビール・カーン 2016年インド映画)


格闘技ならなんでもござれ!というアクション・ニューヒーロー、タイガー・シュロフが満を持して送るアクション映画。これは燃える!

この作品、ロマンス要素もたっぷりあるにせよ、なにしろアクションが基本です。道場で鍛えに鍛えた主人公ロニーは鋼の筋肉を持つ強力な拳法使いとして登場しますが、最大の敵ラーガヴもまた道場師範の息子として恐るべき技を兼ね備えた男なのです。そしてラーガヴが従えた部下たちもいずれ劣らぬ拳法使いとしてロニーの前に立ちはだかります。ロニーはこれら強敵を、強靭な肉体を駆使し電光石火の早業で次々と叩き潰してゆくという訳です。インド・アクションは数ありますが、拳法に特化してアクションを見せてゆく作品は珍しいかもしれません。いうなればインド映画を観ながらにして香港アクション、タイ・アクションの醍醐味が味わえるという訳なんですよ。
眠い目つきのアイツはシックスパック!〜アクション映画『Baaghi』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Neerja (監督:ラーム・マドゥワーニー 2016年インド映画)


ハイジャック犯に立ち向かったのは22歳のキャビンアテンダントだった。1986年、実際に起こったハイジャック事件を題材にした実録映画。実録ならではのサスペンスと重さが胸に迫る。

このように、物語はいたってシンプルでストレートであり、上演時間も122分とインド映画にしては十分にタイトなものだ。舞台は旅客機内を中心に進行することになるが、途中途中でニールジャーの安否を気遣う彼女の家族の様子、そしてニールジャーの回想などが挿入され、実に効果的なアクセントになっている。サスペンスは直球であり、描写に情け容赦なく、そしてこれらが殆ど現実にあったことだという重さが胸にのしかかる。娯楽映画としてもドキュメンタリーとしても非常に秀逸な作品であったのは間違いない。ただ、娯楽作品として観たいのなら、事件のことは予め調べないほうがいい。この作品はインド映画ではあるが、インド映画がどうこう言う以前にサスペンス・スリラー作品として最上の作品だった。サスペンス・スリラーの好きな映画ファンに是非お勧めしたい作品だ。
ハイジャック犯に立ち向かった一人の女性を描く実話物語〜映画『Neerja』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Sanam Teri Kasam (監督:ラディカー・ラーオ/ヴィナイ・サプルー 2016年インド映画)


無き虫眼鏡っ子の恋を描いた物語は後半、あざといばかりの大泣かせ大会に突入する。ファンタジックで美しい美術も見所。

しかーし!後半から大波乱が訪れるんです。どんなことが起こるかは書きませんが、こっからはあれやこれや盛り込みまくりで物語が突っ走ってゆきます。そしてこれがもうこれでもかこれでもかと泣かせに入り、それをクドイ程に引っ張る引っ張る!このトチ狂った&とっちらかった怒涛の展開は「シナリオライターなにかあったのか?」と思わせるほどです。最初は面食らったんですが、流れに身を任せてみればあーら不思議、こんな定番クサイ泣かせのシナリオに、このオレ様ですら思わず滂沱の涙の流してしまったほど!鬼の目にも涙ってヤツでやんすか!オジサンこれは一本取られたね!こんなシナリオと併せ後半の美しい美術と美しい音楽がまた素晴らしいんですよ。ホテルのシーンもよかったですが、インデルのサルーへの"サプライズ"のシーンは、うっとりするぐらいファンタスティックな上に、卑怯な程に泣かせ攻撃が入ります!いやオレこの映画好きだわ!
泣き虫メガネっ娘の恋〜映画『Sanam Teri Kasam』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Kapoor & Sons (since 1921) (監督:シャクン・バトラ 2016年インド映画)


どこまでもこんがらかった家族の問題が、決壊へのゼロポイントへとキリキリと迫ってゆく様を、卓越したストーリーテリングで描き切る傑作。それでも最終的なテーマは家族愛なのだ。

一見して非常に巧みなシナリオを持つ作品だと感じた。この物語では家族の多くが秘密を抱えている。その秘密は冒頭から様々な伏線を張りながら交錯しあい緊張感を高めてゆきながら、ある日嵐の中のダムのように決壊を起こす。この破局のポイントまでの構成が恐ろしいくらいに巧みなのだ。よくもまあここでここまで繋げたなあ、と思う。そしてこうした破局を経ながらもどうやってもう一度家族の輪を取り戻してゆくのかがこの作品の大きなテーマとなる。彼らの秘密は秘密のままであったほうがよかったものなのかもしれない。だがその秘密が発露したその先でさえも、あくまで誠実な家族同志であろうとするのがこの物語なのだ。
家族の再会が引き起こした大きな波紋〜映画『Kapoor & Sons (since 1921)』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Ghayal Once Again (監督:サニー・デーオール 2016年インド映画)


アクションに次ぐアクションの連続で息をつく暇もないノンストップ・アクション作品。スーパーヒーローでもなんでもないオッサンが己の肉体だけを頼りに満身創痍になりながら敵に迫ってゆく姿がいい!

そしてここからの止められない止まらないアジャイのノンストップ・アクションがとてつもなく素晴らしい!GPSや監視カメラを駆使した悪党どもの追撃とカーチェイス、追いつめられるブロガー少年少女、そこに登場したアジャイによる反撃、そして一個のHDを巡っての、アジャイと残忍な私兵たちとの市街を縦横無尽に駆け巡る追跡逃走劇が展開する。車にはねられ電車に接触し、しまいには突き進む鉄道に飛び乗っての鉄拳の応酬、このシークエンスだけでなんと30分以上だ!アクション演出は手堅くそつがなく、インドアクションにありがちな大袈裟で見栄えのいいワイヤーやCGに頼ることなく、ただひたすら肉体の限界に挑み拳のパワーを駆使しながら、満身創痍になりつつも走り飛び敵に鉄拳を打ち込む!もう王道とも言えるアクションが展開しているのだ。
インドのリーサル・ウェポン、サニー・デーオールが暴れ狂うアクション映画『Ghayal Once Again』! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Bombay Velvet (監督:アヌラーグ・カシュヤプ 2015年インド映画)


頽廃と歓楽の60年代ボンベイを舞台に、一人のチンピラの栄光と失墜を描いたノワール・ムービー。アヌラーグ・カシュヤプ監督による作り込まれた60年代ボンベイのセットと雰囲気が素晴らしい。

ボンベイ・ベルベット』に感嘆させられたのは、まずその徹底的に作り込まれた美術だ。60年代ボンベイの街並みを完璧に再現したというセットは、逆に夢のような非現実感を伴う。西洋風にあつらわれた屋敷やホテルの内装は徹底的にインド臭を排除され、クラブ「ボンベイ・ベルベット」のレヴューはここが古き良き時代のニューヨークかはたまた租界地であった頃の上海かと思わされるような豪華さと頽廃とを兼ね備える。男たちは誰もが小粋でパリッとしたスーツに身を包み、洒落者ならではの黒いあくどさを醸し出す。これらは全て、当時のボンベイがインド中の富が湯水の如く集中した世界であり街である、ということを如実に顕す。そうして現出するボンベイの姿は、もはや、インドですらない。これには震撼させられた。
IFFJ先行レビュー:ボンベイ裏社会を生きた男の栄光と没落〜映画『ボンベイ・ベルベット』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Waiting (監督:アヌ・メーノーン 2016年インド映画)


それぞれに昏睡状態の伴侶を持つ二人の男女が病院の待合室で出会う。彼らの心に去来する不安と孤独、絶望とそしてなけなしの希望とを、しっとりとした情感で描く傑作ドラマ。主演の二人が実にいい!

主人公二人のそれぞれの伴侶の容態は、物語が進むにつれ刻々と変化し、それにより主人公二人の感情もまた刻々と変化してゆく。最初絶望だったものが希望に変わり、諦念だったものが怒りへと変わってゆく。そして二人の立場も刻々と変わり、最初慰め役だったシヴがいつしかターラーに慰められるようになってゆく。このようにこの物語は、困難な状況におかれた人間の、その感情の発露の様を縦横に描き、それと同時に、そのような状況の中で、人は何によって困難を乗り越え、何によって救われるのかを描き出してゆくのだ。そしてそれは、つまるところ、心の絆なのである。
昏睡状態の伴侶を持つ二人の男女の出会い〜映画『Waiting』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ