ラストキング・オブ・スコットランド (監督:ケヴィン・マクドナルド 2006年 アメリカ・イギリス映画)

■大統領イディ・アミン
1971年ウガンダ。軍事クーデターにより新政権の指導者となった男の名はイディ・アミン(フォレスト・ウィッテカー)と言った。時を同じくしてスコットランドの医学学校を卒業した青年、ニコラス・ギャリガン(ジェームズ・マカヴォイ)は理想に燃え新天地での医療を志しウガンダへと向かう。そしてとある事件をきっかけにニコラスはアミンと知り合い、その歯に衣を着せぬニコラスの態度を気に入ったアミンは彼をお抱えの医師として任命する。こうして新しい時代を築くはずだったウガンダは、旧勢力によるアミン襲撃から一転、猜疑心に満ちた専制指導者アミンによる恐怖政治の世界へと様相を変えて行った。

「アフリカで最も血に塗れた大統領」と異名をとったアミンはその失脚までの8年間に30万とも50万とも言われる虐殺と粛清の犠牲者を出したという。映画はこの陰惨な史実を元に、架空のスコットランド人医師ニコラスをその側近として配することにより、第三者の目から見たアミン政権下のウガンダの姿を描こうとする。ちなみに「スコットランドの最後の王」というタイトルはスコットランド好きのアミンが自らを指して言った言葉であるが、これはイギリスによるウガンダへの政治介入をイギリスとスコットランドとの対立を踏まえて揶揄した言葉であるのだろう。原作は数々の賞に輝いたジャイルズ・フォーデンの「スコットランドの黒い王様」。主演であるアミン役のフォレスト・ウィッテカーはこの映画の演技によりアカデミー賞ゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞している。また、撮影もウガンダで実際に行われたものである。

■アフリカの黒き司祭
アフリカの指導者というのは政治家というより司祭や呪術師に近い性格を持っているような気がする。それは論理や知性を超えた何か、言ってしまえば強烈なオーラとカリスマ性だ。アミンを稀代の殺戮者として否定するのは簡単だが、そのような事実を持って尚、アフリカの国家や国民性にはマグマのように燃え滾るどろどろとした力が漲っており、それが一歩間違うとこのような指導者が生まれる、ということなのではないかと思う。ヨーロッパ的な民主主義的見地からは「アフリカ人は国家を持っても自転車を持ってもすぐ壊してしまう」という言われ方をするが、これはアフリカ黒人にとって国家や(自転車のような)物質といった概念が汎白人社会に置ける国家や物質の概念と著しく異なっており、それを汎白人社会的な民主主義しか知らない我々には理解し難いものがある、ということなのではないか。それが正しい、とか間違っている、とか言う以前に、アフリカ社会には我々の見知っているものとは違う自己観念性の存在があるのだという気がしてならない。これは例えば、イスラム社会の慣習が我々日本人には判り辛い部分があるといった部分と似ている。

粛清や虐殺の歴史にしても、例えばナチスドイツによるユダヤ人虐殺や中国の文化大革命スターリン主義下における旧ソビエト連邦、またポルポト政権下のカンボジアでも、歴史の上では近代に限らず幾らでも散見するものであるが、これらが狂った論理と間違った思想から行われたものであることは確かではあるとして、なにか人間というものはこういった血腥い非人道的な愚行を容易く行ってしまえるような呪われた部分があるのではないのか、と思えて仕方ないのだ。世界で最も民主主義国家を標榜するアメリカにしても国外で行っている軍事介入においては虐殺と変わりない部分を持っているではないか。最近のイラク戦争においても米軍侵攻後、15万人のイラク人が死亡したと発表されているが、この戦争の大義は何処か不透明なもののような気がしてならない。

ラストキング・オブ・スコットランド
映画として見ると、これはウガンダの歴史とその大統領であるアミンの暴政を描いたものであると同時に、主人公である青年医師の西欧人としてのアイデンティティ第三世界の混沌の中に飲み込まれる映画なのだろうと思った。ニコラスはその若さに彩られた無邪気さと天真爛漫さで異邦の地であるウガンダに飛び込み、何一つ疑問を持つことも無くアミンの側近となるが、そこにはひとえに主人公ニコラスの動機が幼稚な理想主義にあったからだということができるだろう。その疑いの無さは彼の若さゆえ、ということも出来るが、その無邪気さのせいで彼はあちこちで悲劇の種を生む。白人中流社会の持つ民主主義しか知らない青年が一見柔和だが実はしたたかで暴力的な第三世界の現実に組み伏せられてゆく、というのは、要するに世間知らずのお坊ちゃまが気が付いたら裏社会に足を突っ込みケツの毛まで毟られていました、というのと変わらないものがある。

一方のアミンはというと映画の中では決して狂気に満ちた怪物としてのみ描かれているわけではない。アミンは持って生まれたカリスマ性と庶民受けする明るさで支持を得るが、彼のこの”陽”の部分は実際とても魅力的に描かれるのだ。しかしその本質には気分の浮き沈みの激しさ、そして出生の貧しさからくる強い劣等感と猜疑心の強さがあった。映画を観ている間ずっと思ってたが、これって、日本で言う田舎っぺの権力者に似ているんじゃないのか。つまりそもそもの存在が”近代”と拮抗していたのである。彼の上滑りする政策は全てこの周りの見えていない”前近代性”にあった。そこで彼の取った方法が周り(近代)を排除する事で自らの存在(前近代)を守る事であった。何十万人もの犠牲者を出した粛清と虐殺は、彼が狂人だったから行われたのではなく、彼が愚かな分からず屋の田舎者だったから起こったことなのである、ということも出来るのではないか。

蛇足として、後半は「食人大統領アミン」に相応しいスプラッターホラーなショッキングシーンが多々現れます!そっちのほうが好きな方も是非ご覧下さい。あと個人的にはX-FILEのジリアン・アンダーソンが出演していたのが嬉しかった。

■Last King of Scotland Trailer 

スコットランドの黒い王様 (新潮クレスト・ブックス)

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