雪に閉ざされたトルコの街で起こった反イスラム主義クーデターの顛末〜『雪』

■雪 / オルハン・パムク

雪

十二年ぶりに故郷トルコに戻った詩人Kaは、少女の連続自殺について記事を書くために地方都市カルスへ旅することになる。憧れの美女イペキ、近く実施される市長選挙に立候補しているその元夫、カリスマ的な魅力を持つイスラム主義者“群青”、彼を崇拝する若い学生たち…雪降る街で出会うさまざまな人たちは、取材を進めるKaの心に波紋を広げていく。ノーベル文学賞受賞作家が、現代トルコにおける政治と信仰を描く傑作。

1.

宗教とその教義というのは、求める所はシンプルなものである筈なのに、それを信仰するもの、それを語るものによってどんどん複雑化し難解なものになってゆく。これは宗教とその教義が発生から数百年を経て様々な歴史的状況の変化を体験しているのにもかかわらず、原典に固執し過ぎるか歴史の変化の中で生まれてしまう個々の矛盾をそのまま包含したままにしてしまうからなのだろう。

ここで例えば仏教なら細かな宗派に部派され、キリスト教も同様に部派しながら教会ヒエラルキーによる時代に合わせた統一見解を持とうとし、ユダヤ教は原典至上主義を貫き、一方ヒンドゥー教は「俺らインド人だから」というアイデンティティだけで遣り過ごす。しかしヒエラルキーを持たず基本的に民主主義的な筈のイスラム教はなぜかごたごたして見えてしまう。これは後続宗教として歴史の趨勢にまだ対応し切れていない部分があるのかもしれない。実の所キリスト教だって数百年前までは今のイスラム教と同じぐらいごたごたしながらも今があるのだ。

とはいえ、今現在ある一見イスラム教を巡って語られているようなごたごたというのは案外イスラム教の本質と関係ない部分で起こっていたりする。いい例が例のISILだろう。彼らの行っていることはイスラム教教義とはかけ離れたものだが、欧米キリスト教圏からの搾取とそれによって生まれる格差への憎悪と反発を、イスラムを語ることによって組織化した貧困ビジネスがその実態なのではないのか。

2.

トルコ人作家オルハン・パムクによる長編小説『雪』は、雪に閉ざされたトルコの小さな町で引き起こされたクーデターと、それに巻き込まれた中年の詩人とを描く物語である。クーデターはなぜ起こされたのか。それはイスラム原理主義者による市長暗殺に端を発する市長選挙で、イスラム主義系政党の候補者が当選有力視されていたからであり、それに対し共和主義と世俗主義復権を画策する軍人を含む一派がクーデターを仕掛けたという訳なのだ。

一方主人公となる詩人、Kaと呼ばれる男はどのような人物なのか。彼はイスラム主義を貫こうとする女学生の連続自殺事件を取材しにドイツからやって来た男なのだが、もともとはトルコ人である。彼は基本的にはノンポリであり、また、町に住むかつての想いを寄せていた女性に再び会いたい、という個人的な理由も持っていた。そんな恋する中年でしかない文人の彼が、町に蠢く様々な政治的宗教的イデオロギーのなかで翻弄され、次第に悲劇へと引き寄せられてゆくのだ。

舞台となるトルコの町カルスは実際に存在する町だ。物語では連日連夜雪が降り積もり交通が絶たれ、外界とは隔絶された閉鎖環境として登場する。そしてその閉鎖環境の中でトルコが直面するありとあらゆる政治状況や宗教的対立があたかも縮図となったかのように立ち上るのだ。それはイスラム主義者、トルコ民族主義者、世俗主義、クルド民族主義者、社会主義者であり、近代化推進派、政教分離主義者、民主主義者、愛国者である。これらがひと所に集結し主義主張の鍔迫り合いをしている様は、収拾の付かないカオス的な現実の状況を示唆しつつも、一歩離れてみると(特に日本人読者のオレにとっては)どこか戯画化された滑稽さをうっすらと感じるのだ。

3.

さてそのカオスに投げ込まれた恋する中年ノンポリ男はなんなのかというと、近代化された西洋的な思考と生活の中で安寧として生きる「なんちゃってリベラル」だ。このちゃらんぽらんな主人公を通し、これらカオス的な主義主張の根底にあるのが豊かな生活を送る欧米への劣等感というルサンチマンであることが明らかになる。と同時に、欧米ではない我々とは何者なのか、というアイデンティティの揺らぎをも描くものでもある。彼らはそれによりオルタナティヴとしてのイスラム教に寄り添い先鋭化するが、これらルサンチマンアイデンティティの危機も、実はイスラム教の本質とは関係の無いものだ。これは今現在のイスラム教を取り巻く状況とよく似ている。

では主人公はニュートラルな存在なのかと言うと決してそうでもない所がこの物語の醍醐味と言うかややこしさでもある。詩人である彼は暫く詩が書けなかったが、この町に来て降り積もる雪の幻想に触れインスピレーションを得、沢山の詩を書くことが出来るようになる。これをして彼はそもそもが無神論者だったくせに「アッラーの思し召しなのではないか」と思っちゃうのである。脳内で起こった至高体験を「神」へと短絡する。このナイーブさは詩人だからこそなのだろうが、そもそも宗教が何故起こるのかという現象の一端を皮肉に描いているような気がしてならない。

4.

しかも恋する中年ノンポリ男の彼は、ノンポリ無神論者なくせに恋する女にいいところを見せようとしてあたかも政治的で宗教的な男であるかのようにふるまい始めるのである。そう、主義主張なんて下半身の欲求によってコロコロ変わっちゃうのだ。これは主人公が対面するテロリスト、"群青"という男にも当てはまる。色男の彼はその下半身で女たちのイデオロギーを自らの都合のいいようにコントロールする。なんだ、宗教も政治もカンケ―ないじゃん、全部セックスまみれの話じゃん!ここでもまた、一見深刻な物語に皮相的で滑稽な要素が加味される。

いや、実の所、オルハン・パムクはそんな話を書いたわけでは無いと思う。これは作者の言うように十分政治的な物語なのだろうと思う。でも、ノンポリ無神論者で豊かな極東の国でテキトーに生きているだけのオレには、彼らのこじらせまくった主義主張と言うのが、直截で生々しい感情に屁理屈の煙幕を撒き散らして自らを正当化しようとしているだけのようにしか見えなかっのだ。とはいえ、「大きな状況」の中で翻弄される「小さな個人」のその卑屈な内面を抉り散らかした物語として、この『雪』は物凄い傑作なのだろうと思う。

なお、翻訳は【新訳】文庫本として早川書房から出ているものもあるが、このテキストは藤原書店から出された和久井路子訳のハードカヴァー版に基づく。和久井路子訳はなにかと評判が悪いようだが、奇妙にうねりのある文体であり、錯綜した心理が上手く表わされているように思えた。

雪

雪〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

雪〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

雪〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)

雪〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)