ウエルベックさん、ご災難!?/ミシェル・ウエルベック著『わが人生の数か月 2022年10月-2023年3月』

わが人生の数か月 2022年10月-2023年3月 /ミシェル・ウエルベック (著), 木内 尭 (翻訳)

わが人生の数か月 2022年10月-2023年3月

「私が本当に地獄に落ちたのは、一月三十一日、パリに戻ってからだった」。イスラム嫌悪の諍いの裏で、ポルノ映像出演という最悪の事態に見舞われた著者が赤裸々に描く自己分析的エッセイ。

素粒子』『服従』など問題作を書き続けるフランス文学界の鬼才、ミシェル・ウエルベックが2023年5月下旬に急遽発表した「告白形式のエッセイ」、それがこの『わが人生の数か月 2022年10月-2023年3月』なんですね。

なんだか勿体ぶったタイトルですが、実はウエルベックさんがろくでもない災難に遭って大慌ての巻、というのがその内容なんです。で、その「災難」というのは、まず「舌禍夥しいウエルベックさんがまたぞろイスラム差別発言をして大問題!」というのと、「エロ大好きウエルベックさんがうっかり出演したポルノ映画を公開するしないで法廷闘争!」という2本立てとなっているんですよ。まあ……実にウエルベックさんらしいというか……ええと……

ウエルベックさん、なにやってますねん?

で、この『わが人生の数か月』では、憤懣やるかたないウエルベックさんによる、それら事件の顛末やら経過やらが書かれているんだけど、実際書かれていることはまあ……実に言い訳がましいというか……ええと……

ウエルベックさん、しょーもな……。

帯の惹句にはこんなことも書いてある。

妻とポルノビデオを作りたいと願っていた作家が、事件に巻き込まれる。似非アーチストの「ゴキブリ」、淫乱のなり損ないの「メス豚」、美貌の持ち主だが無個性な「七面鳥」。ネットでは「予告編」が拡散されはじめ、「メディアの阿保ども」につけまわされる。性行為において最も重要な「愛」はどこにあるのか。

まあ「妻とポルノビデオを作りたいと願っていた作家(=ウエルベックさん)」というのはとりあえず置いときましょう。

だってウエルベックだもの。(みつを)

でもそれをあんまりよく知らない第3者に委ねちゃってた部分で「事件に巻き込まれる」可能性は予想できなかったのかなあ。

ウエルベックさん、結構ドンクサ。

で、実はスキャンダル目当ての詐欺行為だと発覚してウエルベックさん大慌て、映画公開(ただしネット配信映画なのらしい)差し止め請求裁判を起こしたんですが、撮影前に契約書にサインしちゃっており、裁判の雲行きは果てしなく怪しい。こんな理不尽さにウエルベックさん大激怒、自分を騙した連中を「ゴキブリ」「メス豚」「七面鳥」と汚い言葉で呼びつけ、本文は罵詈雑言の雨あられ。要するにアレです、「ネットで炎上してもさらに油注いじゃうタイプ」なんですねウエルベックさん。(でも「文章書くのとネットでエロ動画観る以外はパソコンは使わん!」とかよく分からない威張り方をしてますウエルベックさん。)相当迂闊だったとはいえウエルベックさんは間違いなく被害者だし、お怒りになる気持ちは十分分かるんですが、

ウエルベックさん、ちょっと老害入ってる。

とはいえ、そんなろくでもない私憤を書き連ねた文章を読んで面白いのかというと、実はこれが結構面白い。口汚い言葉も使うんだけど、ウエルベックさん一流の文学性に満ち溢れた文章がそちこちにあらわされ、ウエルベックさんならではの高度な知見に裏打ちされた言説が立ち上がり(見ようによっちゃあ単なる衒学と屁理屈なんですが)、これぞウエルベック節!と思わされる名文句がほとばしりまくってるんですね。

さすが、腐ってもウエルベック

もちろんこのエッセイ、ウエルベックのファンだからこそ生暖かく微苦笑を浮かべながら読めちゃうんですが、これまでウエルベックを読んだことの無い人が初見で手を出すのは絶対に御法度です。もし読んだらウエルベックが単なるドエロのクソジジイとしか思えなくなります(だいたいポルノ映画において自分がどんなにドスケベなエッチをしたのかを克明かつ丹念に描いています)。もしウエルベックさんに興味が湧いたのなら『素粒子』や『滅ぼす』を始めとした文学作品をまず読まれることをお勧めします。ウエルベック作品を全作読んでいるオレの感想文をまとめたリンクも下に貼っておきますのでご参考までに。

ではこのエッセイで心に残ったウエルベック名文句を幾つか挙げておきましょう。

  • 「諸々の誤った心理学の影響で、性行為における幻想の重要性がしばしば過大に評価されている。幻想は、他人との関係がいっさい存在しないところで育まれる。(p19)」
  • 安楽死は、存続に値しない文明とそうでない文明を本当に分ける、数少ない主題のひとつだ。(p67)」※ウエルベック安楽死否定論者として知られる
  • 「悪は、善と同じくらい広大であり、同じくらいほとんど限度を知らない(p67)」
  • 「この本には「私の自縄自縛」というタイトルをつけることができるだろう。なかなかいい響きだと思う。(p74)」※ちょっと自嘲も入ってるウエルベックさんが可愛い
  • 「私はしばしば悲観主義の作家と見なされており、それは多分正しいのだが、良い本を書くのに役立つ明晰さは、現実にとるべき態度としては必ずしも最良のものではなく、多くの場合、すべてはうまくいくかのように振舞った方がいい。(p76)」※作家と作品は別箇ですよと言っている
  • 「私は信仰を信じるのをやめていた。私が言いたいのは、人間たちがその周りに集まるふりをしている、政治的、哲学的、宗教的な思想のことである。愛はまだ信じていた。(p115)」
  • 「私とキリスト教の関係がこれほどまでに険悪だったことはいまだかつてなかった。それに対して、イスラム教との関係は緊張緩和が顕著に進み、その動きは私が「ライシテ陣営」に対してますます苛立ちを募らせていたことでさらに加速した。(p118)」※「ライシテ」とはフランス独特の政教分離政策のこと。「キリスト教よりイスラム教の方がまし」と言いながらこれまで批判的だったイスラム教に色目を使うウエルベックさんの姑息さが結構嫌いじゃない
  • 「私は人生をもはやそれほど好きではないが、人生を再び好きになろうと考えることはできた。(p123)」※ウエルベックのこういう言い回しが本当に好き