ミシェル・ウエルベックのすべての邦訳作品を読んだ

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ミシェル・ウエルベック

オレとミシェル・ウエルベック

フランスの現代文学作家、ミシェル・ウエルベックの全邦訳作品を読み終えた(小説8作、評論2作)。

最初にウエルベック小説と出会ったのは池澤夏樹編集による世界文学全集の『短編コレクション2』だった。そこで読んだ中編『ランサローテ島』にはヨーロッパ白人中年男のドツボと化した倦怠感が描かれていた。それは厭世主義で人間嫌いで現実の事象で起こる殆どの事に冷め切ってしまい、その果てに世界と自己のドン詰まりにぶち当たってしまった男の犬の遠吠えの如きシニシズムだった。

オレはウエルベックの描く主人公の心情と世界観にすぐさま感情移入してしまった。ああ、確かに、人生も、現実世界も、かったりいよな。うんざりさせられるよな。もとよりあまり文学なぞ読まないたちなのだが、この男の描く物語は何か違うなと思い、その作品を幾つか読んでみることにした。

そして最初に読んだ長編『素粒子』が、もう、衝撃的だった。臓腑を抉られ、胸を掻き毟られ、脳髄を揺さ振られた。ここには虚無の淵に立ち既に後戻りすらできないことを知ってしまった男の血を吐く様な悲哀があった。生の不条理にひたすら苛まれ、決してままならないままそれでも生きねばならないことの苦痛が剥き出しの描写で描かれていた。オレは叩きのめされたよ。

こうしてオレはウエルベックの邦訳全作品を読むことにした。一人の作家の全作品を読むのは初めてだし、9割9分読んだのもカート・ヴォネガットフィリップ・K・ディックぐらいだ。おまけにフランス文学だ。オレはフランス映画を観るにつけ「フランス人というのは理解に難しい人種だよな」と思っていたものだが、そのフランス人の文学を完走してしまう、ということが自分でもちょっと不思議だった(ああそうだ今思い出した、昔フランス人作家ボリス・ヴィアンにハマって全集で読んだことがあったな)。

ウエルベック小説の特徴はまず、あからさまな性描写がこれでもかと描写されることだろう。しかしこれは扇情を目的としたものではなく、人間というのは、根本においてさらに究極的には性的存在である、ということを明確にしたものだと思うのだ。

人は嗜好の有無、大小にかかわらず基本的には性的存在であるが、社会生活においてそれは時として無視されるか隠蔽されてしまうか忌避されてしまう。だがウエルベックはそれをクローズアップすることで人間存在の本質に辿り着こうとする。そして性的存在であることの(それは愛と性との)不条理から生み出される悲劇と苦痛と、なけなしの幸福とを抉り出そうとするのだ。

もうひとつ、ウエルベック小説で興味を惹かれたのは、主人公の多くが富裕な知識階級であり、何一つ不自由することなく生きているにもかかわらず、それでも倦怠感に苛まれ、焦燥感に追い立てられているという事だろう。これは爛熟を極めたヨーロッパ文化と経済的発展が、決して超えられない壁に突き当たってしまっているという事なのだろう。

とはいえ、そんなヨーロッパ富裕層の生活、住空間や衣食や乗り回す車、バカンスのある暮らしや知的な職業などの描写を、奇妙な憧れを持って読んでしまったことも確かである。特に食文化の豊かさはさすがにフランスだと思わされ、美味そうなものを食ってるな、とごく単純に下世話な感想を持って読んでいた。そういった部分も含めて、フランスの事をもっと知ってみたいな、とも思わされた。

というわけでウエルベック作品とそれを読んだオレのブログ感想のリンクを作品執筆順に並べておく。なお小説と評論とで二つに分けた。

小説

闘争領域の拡大 (1994)

(文学作品としての)処女作。性的対象を奪取する闘争が経済発展により大いなる格差を生じさせている事への怨嗟を描く作品。平たく言うなら「ブサメンの非モテだからって生きる価値が無いってのか?」というお話。

素粒子 (1998)

『闘争領域の拡大』における主題をさらに深化させ、性と生の虚無と苦痛をどこまでも暗澹たる悲哀でもって描き切り、それをヨーロッパ社会の終焉とまで結びつけてしまった問題作。

ランサローテ島 (2000)

火山質の荒涼とした大地に覆われたランサローテ島にバカンスで出掛けたヨーロッパ人の倦怠を描く中編と、ウエルベック自身の撮ったランサローテ島の写真をカップリングした作品。

プラットフォーム (2001)

タイに一大セックス・アミューズメントを築こうとしたヨーロッパ白人男女を襲う悲劇。セックス・ツーリズムを通してここでもヨーロッパが陥った限界を描こうとする。

ある島の可能性 (2005)

恋愛関係が破綻し絶望に堕とされた男と、そんな彼の未来のクローン存在が「愛や性に振り回される過去の人間たちの実存とは何だったのか」と考察していくというSF作品。

地図と領土 (2010)

天才芸術家と風変わりな作家「ミシェル・ウエルベック」の交流を通じて、芸術へのアティテュードを描いたウエルベックにしては高尚なお話だが、最後にとんでもないことが起こる。

服従 (2015)

フランスにイスラーム政権が誕生したという近未来を描くSF的な作品。「世俗性」を重要視するフランスのその在り方と行く末とを浮き彫りにしようとする。

セロトニン (2019)

社会との絆を断った男が辿る失った愛への未練と悔恨、老いてゆく自身の性と生の不能悲観主義ウエルベックによるショッパイ話がつるべ打ちな最新作。

評論

H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って (1991)

ラヴクラフト・ファンであるウエルベックによるラヴクラフト評論。自らのペシミズムをラヴクラフトの生涯に重ね合わせ、一つの個人史を完成させている。

ショーペンハウアーとともに (2017)

19世紀ドイツ哲学者ショーペンハウアーとの衝撃の出会いを綴った評論集。ショーペンハウアー理解というよりもウエルベック作品解題の鍵として面白い。