現代フランス文学を3作読んでみた

ミシェル・ウエルベックの作品は全部読み終わってしまったが、現代フランス文学というのもなかなか面白いものだなと思い、3作ほどセレクトして読んでみることにした。作者・タイトルはそれぞれオリヴィエ・ゲースの『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』、アントワーヌ・ローランの『ミッテランの帽子』、フレデリック・ベグベデの『¥999』。ゲースとローランの作品はWEBサイト「フランス文学の愉しみ」からセレクトした。ベグベデの作品はウエルベックがどこかで言及していたので読んでみることにした。

ヨーゼフ・メンゲレの逃亡 / オリヴィエ・ゲーズ (著)、高橋 啓 (訳)

アウシュビッツ絶滅収容所に着いたユダヤ人を、ガス室行きと生存させる組とに選別した医師メンゲレは、優生学に取り憑かれ、子供、特に双子たちに想像を絶する実験を重ねた。1945年のアウシュビッツ解放後に南米に逃れ、モサドの追跡を逃れて生き延び、79年ブラジルで心臓発作で死亡する。なぜ彼は生き延びることができたのか? どのような逃亡生活を送ったのか? その半生の真実と人間の本質に、淡々としかし鋭い筆致で迫った傑作小説。ルノードー賞受賞。

ヨーゼフ・メンゲレ。第2次世界大戦のさなか、アウシュビッツで囚人に対し残虐な実験を繰り返し、「死の天使」と恐れられた男である。敗戦後メンゲレは南米に逃亡し、ナチ・ハンターの捜索を逃れ続け、1972年に脳卒中による死亡が確認されている。

ヨーゼフ・メンゲレの逃走』は膨大な資料からメンゲレの逃亡生活を再構築し、”小説”という形で再現した作品だ。つまりここではどうしても資料から零れ落ちてしまう心情や心理といった内面描写が為され、物語という体裁を通して最大のナチ戦犯の一人メンゲレの半生に肉薄しようとしているのだ。

物語内でメンゲレは傲慢かつ姑息な男として登場し、その前半ではナチスドイツの復活を夢見ながら悠々自適の生活を送っている。しかし追跡の手が迫る後半では逃亡生活に倦み疲れ、恐怖と孤独に蝕まれながら身も心も病んでゆく様が描かれてゆく。

自らが行った行為に一切の改悛を見せないメンゲレの冷血なモンスターぶりにも慄然とさせられるが、彼を周到に逃亡させるナチ残党による地下ネットワークの広範さにも驚かされた。メンゲレは惨めさの中で死ぬことになるが、かといって正当な裁きを受けることはなかった。こういった様々な無常さが横溢する濃厚な小説作品であった。

ミッテランの帽子 / アントワーヌ・ローラン (著)、吉田 洋之 (訳)

その帽子を手にした日から、冴えない人生は美しく輝きはじめる。舞台は1980年代。時の大統領ミッテランブラッスリーに置き忘れた帽子は、持ち主が変わるたびに彼らの人生に幸運をもたらしてゆく。うだつの上がらない会計士、不倫を断ち切れない女、スランプ中の天才調香師、退屈なブルジョワ男。まだ携帯もインターネットもなく、フランスが最も輝いていた時代の、洒脱な大人のおとぎ話。

フランソワ・ミッテラン、フランスの第21代大統領として85年から95年までを在任した政治家である。オレも名前程度は知っていたが、どのような政治を行い、どのように民衆に愛されていたのかはまるで知らなかった。

この『ミッテランの帽子』は、ひょんなことからミッテランの帽子を手に入れた者たちが、その人生に新たな展望を得て変わってゆく様をリレー形式で描いてゆく人間ドラマである。全てを黄金に変えるミダス王の手というギリシャ神話があるが、ここではミッテランの帽子がそれぞれの人生に黄金のような切っ掛けをもたらすのだ。

とはいえ、その帽子に魔法が掛かっているというお話ではなく、帽子をひとつの狂言回しとしながら、人の人生の転換期をそれぞれに描いた作品という事になるだろう。それは非常にポジティヴであり、暖かなドラマに満ちたものだ。

そして、確かにミッテランの帽子に魔法はかかってはいないにせよ、ミッテランという存在がフランス人にとってどのようにポジティヴィティを生み出すものだったのかがうかがい知れるではないか。新潮クレスト・ブックらしい非常にハートウォーミングなフランス小説だった。

¥999 / フレデリック・ベグベデ (著)、中村 佳子 (訳)

二年にわたってフランスのベストセラー・リストを賑わせ続けた超話題作! 僕はアイデア一つでモノを売り、カネを稼ぐクリエイター。だがこの業界は嘘と欺瞞に溢れ、誰一人本音が見えない。皆、嘘でしか生きられない。こんな世界、辞めてやる!--そしホントにクビになった著者の辞表白書!

芸能人を「河原乞食」と蔑む言葉があるが、であれば人の欲望を煽り寺銭を稼ぐ広告屋は「ポン引き屋」と貶めることができるだろう。この『¥999』はフランスの大手広告会社に勤める主人公の、人も世間もナメきったC調お気楽スーダラ人生を描く物語となる。ちなみに『¥999』とは変わったタイトルだが、初出時の原題は『99F(フラン)』で現在は『14.99€(ユーロ)』となっており、日本版『¥999』は実際に¥999で売られている。

主人公オクターヴは適当ブッコいた思い付きの広告を作りながらなぜか未来を嘱望された売れっ子広告マンだ。彼は巨額の報酬を得てブランド物に塗れたセレブな生活を送っていたが、本当の願いは仕事を馘になる事だった。そんな彼の金と女とドラッグに塗れた軽佻浮薄な日々を描くその文章はアイロニーとウィットに富み、リズム感に溢れどこまでも軽快だ。その筆致は「躁病のミシェル・ウエルベック」と言えるかも知れない。主人公オクターヴはどこをどう転がしても単なるクソ野郎なのだが、その類まれな描写によりなぜかこの男が段々好きになり、その寄る辺なき浮草人生に同情心まで起きてしまうのだ。

そして物語内に弾丸の如く飛び交う現実の商品名とその広告からは、人が如何に四六時中扇情に曝され自動機械のように消費を繰り返しているのかが透けて見えるのだ。我々はなぜ生きるのか?それは消費するためだ、と言わんばかりに。作者であるフレデリック・ベグベデも実際にCMディレクター、コピーライターであるといい、そしてこの作品を書き上げたことによりメデタク広告屋を馘になったという。なんだコイツ最高じゃんか。