ミシェル・ウエルベックの評伝『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』を読んだ

H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って / ミシェル・ウエルベック

H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って

服従』『素粒子』で知られる《世界一センセーショナルな作家》、ミシェル・ウエルベックの衝撃のデビュー作、ついに邦訳! 「クトゥルフ神話」の創造者として、今日の文化に多大な影響を与え続ける怪奇作家H・P・ラヴクラフトの生涯と作品を、熱烈な偏愛を込めて語り尽くす! モダンホラーの巨匠スティーヴン・キングによる序文「ラヴクラフトの枕」も収録。

様々な問題作を上梓してきたフランス人作家ミシェル・ウエルベックだが、実質的なデビュー作となるのはH・P・ラヴクラフトに関するこのエッセイ集、『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』(91)となる。しかしウエルベックによるとこのエッセイ集は「ある種の処女小説として書いた」のだという。

ただひとりの主人公(H・P・ラヴクラフトその人)が出てくる小説。伝えられる事実のすべて、引用される文章のすべてが正確でなければならないという制約を与えられた小説。とはいえ、やはり一種の小説なのだ。――『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』序より

この『世界と人生に抗って』が小説なのかどうかは別として、ウエルベックは10代の頃より相当のラヴクラフト・ファンであったのらしく、その思いのたけが凝縮されたエッセイ集であるのは間違いない。ただし「ラヴクラフト評伝」ではあっても、そこはあくまでウエルベックらしい切り口でもって書かれることになる。

例えば一人の作家の評論、評伝を書くのならば、それを客観的事実に基づく客観的な分析を交えて書くものだろう。もちろんこの『世界と人生に抗って』におけるラヴクラフト分析は、それらを周到に展開したものではあるが、そこにはウエルベックならではの、生来ともいえるペシミズムが色濃く匂うのだ。それはウエルベック自身のペシミズムを、ラヴクラフト作品のペシミズムに、ひいてはラブクラフトの生涯を覆うペシミズムに重ね合わせたかのような評伝となっているのだ。

特に秀逸に感じたのはラヴクラフト作品において取り沙汰されがちな「人種的偏見」がなぜ生まれたのか、という箇所だろう。それは結婚しロードアイランドの片田舎から大都市ニューヨークに移り住んだラヴクラフトが、人生初とも言える幸福な生活から一転、貧困と度重なる職探しの失敗から、ニューヨークに安穏と住まう有色人種たちに次第に憎しみを募らせていった、という記述である。そして醸造されたその憎しみと破綻した結婚生活とが、その後一人孤独にロードアイランドへと帰ったラヴクラフトに、クトゥルフ神話のあの輝かしくもまたおぞましい傑作群を書かせたというのだ。

ウエルベックは一人の作家として、文学上における「人種的偏見」など問題にしない。もとより自身も作品において人種差別的な言及を成すウエルベックであるが、彼の注視するのはその絶望の在り方であり、その絶望がいかにして文学史上唯一無二の「コズミックホラー」を書かせたのかということなのだ。ウエルベックはそれを、あたかも自身の絶望とその発露である文学作品を語るかの如く記述する。ラヴクラフトに対するこの濃厚な感情移入の在り方とその描写は、確かに「小説」の在り方そのものであるのかもしれない。

もうひとつ面白かったのは、本書の序文を書いたホラー小説の大御所スティーヴン・キングとの温度差だ。序文においてキングはウエルベックラヴクラフト分析にやんわりとした疑問を投げかけているのだ。キングは一人の大成したホラー作家として、同様のホラー作家であるラヴクラフトに大いに一家言持っているだろう。しかしそこは「エンタメ作家」と「文芸作家」との視点の差なのだろう。キングの指摘はある部分正しいものなのかもしれない、しかしこの『世界と人生に抗って』を「一種の小説」としてとらえるなら、ウエルベックの描くラヴクラフト像もまた、一人の実存的存在としてのラヴクラフト自身であるのだ。