ボルヘスの後期作品集『ブロディーの報告書』を読んだ

ブロディーの報告書 / J.L.ボルヘス (著), 鼓 直 (訳)

ブロディーの報告書 (岩波文庫)

「鬼面ひとを脅かすようなバロック的なスタイルは捨て……やっと自分の声を見いだしえた」ボルヘス後期の代表作.未開部族ヤフー族の世界をラテン語で記した宣教師の手記の翻訳という構えの表題作のほかに,十九世紀末から二十世紀初頭のアルゼンチンを舞台にした直截的でリアリスティックな短篇11篇を収める. 

ボルヘスと言えば短編集『伝奇集』『アレフ』に収録された形而上学的な迷宮世界を描く作品が定番的な有名作となるだろうが、短編集『ブロディ―の報告書』はそれらとはまた一味違ったボルヘス世界を展開している部分が興味深い。

この『ブロディ―の報告書』に収録される作品の多くは、倦んだような太陽に照らされたアルゼンチンの乾いた大地の上で展開する、血と死と土着の物語が中心的に描かれているのだ。それは『伝奇集』の「第II部工匠集」における作品群に見られたラテンアメリカの暗く野蛮な暴力性と共通するテイストがある。

『伝奇集』『アレフ』とこの『ブロディ―の報告書』との作風の違いは、ひとえに『ブロディ―の報告書』が先の2作から20年ぶりに刊行されたボルヘス後期の作品群だからだろう。巻末の解説によると、実はアルゼンチン文壇において『伝奇集』『アレフ』は幻想性に依拠し過ぎてアルゼンチンのドメスティックな生活の生々しさを描いていないという理由から単なるインテリ文学であるという批判を浴びたのだという。

日本の一読者としては何をかいわんやという感覚ではあるが、ボルヘスなりに考える部分があったのだろう。そういった部分で『伝奇集』『アレフ』と比べるなら超現実性の後退とリアリズムへの拘泥といった部分で、拍子抜けする部分もあるし物足りなくも感じるが、これはこれでボルヘスのひとつの在り方なのだと捉えることもできる。

とはいいつつ、『ブロディ―の報告書』の中でも強い輝きを放つ作品は、例えば「マルコ福音書」の、突如表出する鮮烈極まりない死の輪郭の禍々しさであり、タイトル作「ブロディ―の報告書」における、不気味で非現実的なロビンソン・クルーソー異世界譚であったりする。手綱を緩めつつもやはりボルヘスボルヘスなのだ。